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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

131109第十一回むこのそう哲学カフェ 開催報告

第十一回むこのそう哲学カフェ 開催報告

日時:2013(H25)年11月4日(日)14:00-16:00
場所:カフェ・トレピエ
参加者数:9名(男6名、女3名)
年代 30代:1名 40代:2名 50代:1名 60代:5名  哲学カフェ初参加者1名

テーマ「自分の善さを知っていますか?」

秋雨の静かに降る日の午後、自分を振り返ってみるようなテーマに取り組みました。それも”良さ”ではなくて”善さ”について考えてみました。たくさんのご意見が良さと善さ、善と悪、自分と他人、個人と社会などの軸に沿って出され、まるでそれらが補助線を引いて問題を解いていくかのように進んだ哲学カフェでした。

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◆善さ
・自分の善さは何かと問われたら即答しづらいです。
・長所と短所を聞かれると、短所はすぐにいくつでも思きますが、長所は「あえて言えば…」と言う感じで言いにくいですね。
・子供は生まれた時は何もできません。その意味で劣等感の塊ですが、育つ過程でできるようになって行く、学校や生活の中での小さな成功体験の積み重ねでことで自信を得ていきます。

◆自分と他人
・自分の善いところや長所は人から言ってもらった方がいいですし、とてもうれしく感じるものです。
・自分では当たり前の何気ないことでも他人から褒められることがあると、意外でとてもうれしい。
・自分の善さを自分で言うと、恥をかくかもしれません。自分で思っている善さなるものが他人に通用するか心配です。
・自分と他人を比較していると思うので、ここは他人より優れていると思うことはあります。
・他人の評価は、近しい友人などの場合は素直に受け入れてもいいと思います。ただ通り一遍の他人の評価は本当のところは分からない。
・ところで、「良さ」と「善さ」の違いはどんなことでしょうか。
・自分が正しいことを言っているにもかかわらず、認めてもらえずに足を引っ張られるような経験がありますが、その時は自分の正しさを証明して勝たねば、という思いでいっぱいで、それが通用しないのに自分が傷ついていました。それが何度もあると、自分の意見を言わなくなって他人に合わせて自分ではない何者かになってしまいます。自分の感覚に蓋をしている。自分は正しいが他人の意見も認めるということができるようになったこと、それが、自分の善さを認めることです。
・他人の意見を受け入れるということは、自分の意見を通すだけというのは傲慢になりかねません。自分がいくら善いと思った事でもそれを通してしまうだけでは傲慢でしょう。善いことであっても他人にはありがた迷惑なことはあり得ます。
・周囲の人の指摘で自分の傲慢さに気が付くこともあってその指摘は解りあえるチャンスであると思います。

◆善と悪
・善さに、制度的(時代や国、歴史を背負って)な善悪を決める仕組みの中で決まっていくものと、倫理的(絶対的な善を求める)なものがあります。
・善さには物理的(破壊的か、建設的か)なものもあると思います。
・善であっても傲慢、悪であっても謙虚であることはあり得ると思います。
・善悪は二つで一つで、しかもじっとしていない。善も極みまで行き過ぎると突然悪になる、振り子のように振れているのではないでしょうか。

◆個人と社会
・殺人のように絶対的な悪と思われることであっても、戦争中は悪だとはならないように善悪にも濃淡があります。
・<個人>において善悪を考える時は自信がほしい。生きている価値とか生きていても良い、存在しても良いという肯定感がほしい。
・<社会>においては傲慢さも社会的なモノであって、計算が働き本音と建前のがあるでしょう。しかし今は自由な時代なので選択できます。
・類は友を呼ぶと言うが、同じ価値観を持つ者同士が集まることができるので、傲慢さが露呈することは少ないでしょう。
・自己肯定感は大切で、積極性や意欲につながります。しかし積極性や意欲を自分で出そうと思ってでるものではありません。自分の善さを知ることで自己肯定感を得ることができます。
・自分の善さを知ることだけではなく、喜びや楽しみを知ることも自己肯定感につながると思う。
・自分を愛せない人は他人を愛せないでしょう。過度の自己愛という問題もあるかもしれないが自分を愛せない人は何か困難を抱えるのは、自分を受け入れられない、愛せない、愛さないということです。ならば、喜びや楽しみを知るだけでは自己肯定感は十分得られるものではないと思います。
・自分を愛せない人でも他人を愛せる?でしょうか。
・アドラー心理学の3つの条件では、①.私は私のことが好きと言える人 ②.人々は信頼できると言える人 ③.私は人々の役に立てると言える人 は、自分を知って自分を受け入れられるそうです。
・自分の善さとはオリジナリティのことであり、子供の世界では子供は、自分を信じていると思います。
・絶対的な善 ⇒ 個別の善の対立 ⇒ 社会的な善 という善の変遷が考えられます。

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善は悪と対であって、単独では存在しません。その時の善悪は社会的なモノで絶えず揺れ動くものでしょう。しかし、善悪には社会的ではないものもあるようです。自分の善さを知るというとき、その善さは絶対的な善ではないでしょうか。それならば、自分の善さを知るということは、悪から完全に離れることなのかもしれません。
このことが多くの人にとって隠されている理由も社会の発展や、教育の在り方によって影響されている、ということが透けて見える…ような気がしました。


さて、今後の予定は、11月10日(日)14:00-16:00に「eカフェ」を行います。テーマは「21世紀になっても戦争が無くならないのはなぜ? Why do we have war in the 21st century?」です。会場はアイデアル英会話教室(伊丹市野間)です。

続いて今年最後の哲学カフェは12月15日(日)14:00-16:00 カフェ・トレピエにて「シリーズ~考えるを考える~第3回 考えないとはどういうことか?」です。


END
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  1. 2013/11/09(土) 23:20:22|
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