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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

130928第九回むこのそう哲学カフェ 開催報告

第九回むこのそう哲学カフェ 開催報告
日時:2013(H25)年9月22日(日)14:00-16:00
場所:西富松会館
参加者数:9名(男9名、女0名)
年代:40代:2名 50代:1名 60代:5名 70代:1名

テーマ「シリーズ~考えるを考える 第2回」

シリーズ第2回目は前回と同じく参加者の皆様からいくつか「切り口」を出して頂き、多数決で本日の切り口を選びました。ご提案のあった「切り口」は以下の4つでした。

1) イメージで考えるとは :4票
2)良く考えるとはどういうことか :4票
3)考えることの楽しさ、苦しさ :1票
4)考えるというのは一人の行為か、みんなで考えるとはどういうことか :8票

得票数の多かった「考えるという行為は一人の行為か、みんなで考えるとはどういうことか」から考えてみることにしました。みなさんのご意見には次のようなものがありました。

◆だれと考える?
・高校生に哲学を教えようと言う取組みでは、学校は教える場または学ぶ場であって「考える場」ではないという学校側の考えに直面しているようです。
・その背景には、考えることは私的なことであり公共の教える場である学校は哲学する場としてふさわしくないのではないか、と言う戸惑いがあるようです。
・考えるとはもとも公共的なものであるといえるのではないでしょうか、なぜなら文字も本もない時代では話合うことが唯一の考える手段ではなかったかと思うからです。
・私は一人で考えるのが好きです。
・一人で考えるか、みんなで考えるかは何を考えるかによるでしょう。3人寄れば文殊の知恵ともいうし、他方で大発見は孤独な行為であるとも言うのではないでしょうか。
・考える行為を行うのは一人でも、考えの元となる材料は皆からもらったものでしょうから、完全に一人で考えるということはあり得ないと思います。
・一人で考えて自問自答する場合は、その人の中にもう一人の自分がいるような状態で、そのもう一人の自分と対話しているように思うと純粋に一人で考えるということはないように思います。

◆そもそも考えるとは?
・そもそも考えるとは、仮説を立ててそれを検証する作業でしょう。木の幹があってそこから枝葉が茂るようにいろいろな考えが出てくるのだと思います。
・ブレーンストーミングはみんなで閃いたことを提出する方法ですが、一人で考える手段として最近マインドマップが注目されています。これは頭の中にあるものを視覚的に考えることができて、考える手段としていい方法だと思います。
・考えることは、他人を尊重するトレーニングだと思います。なぜなら、考えるためには言葉抜きでは考えられません。言葉というものには先人たちの膨大な蓄積があります。従って他人と言葉を共有することが考えるためには不可欠であり、そこで他人を尊重することが要請されると思います。


◆考えることを分けてみると
・今までの論点を整理してみると1)、2)のようになると思います。
1) 単数で考える VS 複数で考える
・単数で考えるとは、もう自分の中で答えは決まっている状態、「思っている」ことであって、考えているとは言えないのではないか。
・複数性をもって、つまり人を呼び込む、発表するなどを伴うことが考えるということではないか。
・学校の授業では生徒各人が教えられることを学ぶ、のであって考えるのではない。
・複数で考えることを「みんなが考えている」「みんなで考える」と言う状態があるのではないか。
・複数で考える場合、考え方を共有するのと、テーマを共有するのがあるのではないか。
・複数で考える時はコミュニケーションを使いながら、個人を超えるのではないか。

2) 私的に考える VS 公共的に考える
・私的に一人で考える例として、野球の打者が打席に入って一人でどっちへ打とう、どんな球を打とうと考えているときは私的に考えていると言えるのではないか。
・一人で考えたことは他人に教えたくなります。考えたことは一人ではとどまらない、広がっていくと思う。
・公共的に考えるときには他人の評価を期待する気持ちや、共有したいまたはコミュニケーションしたいという望みがあると思う。
・公共的に考える時、複数の人が参加する場所に「場の空気」と言われるようなものがあると思う。
・個人的に思っていることを発表することで「考える」ことになっていく。
・自分の中の考えを表現することで他人が賛同してくれて沸き上がってくるようなイメージがある。

◆考える場
・考えを発表してその場にいる他人に働きかける、そして考えることを促すことができると思います。
・他人の意見を聞くことで自分が変わることに快感があります。そのために場から影響を受けるために自ら発言するのではないでしょうか。
・もっと考えたい、と思っていて考えを突き詰めるためにはいろいろ刺激を受けることが大事でしょう。
・そのような場ではストーリー作りが行われているのではないでしょうか。場の流れと言うものがあってそれを掴む、ジャズのライブ的な打てば響く、素晴らしいスイングに出会うようなことがあるのではないでしょうか。
・考えることは楽しみです。異なった意見を聞いて刺激を受け、違った側面に気づかされて考えが深まったり自分が変わったりすることは楽しいことです。それが考えることの目的ではないでしょうか。
・しかし、一方で「考える」ということを教育の場で行う場合などには、考えることを手段化してしまう懸念もあります。
・教育の場で哲学がなされ、考えることを実践されることは困難でしょう。それができるまでにはかなり時間を要するのではないでしょうか。
・みんなで考えるには家族で考えることもあります。家族の問題を話し合い、役割や予定を決めたりするということもみんなで考えるのに含まれると思います。

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このシリーズでは毎回、切り口を皆さんと決めています。今回の切り口であった「考えるというのは一人の行為か、みんなで考えるとはどういうことか」は私にとっても関心の深い問題でした。

考えるということは一人の行為であってみんなで考えるということはあり得ないという考えから逆に一人で考えるということは「思っている」に過ぎなくて他人との意見交換を経てこそ考えることになるという考えまで、興味深いご意見が出されました。また、みんなで考えることの一つの実践として哲学を教育の場で教える試みについて、学校が教え学ぶ場であって、考える場にはふさわしくないと言われていることもあると知らされました。

現代の日本では十分考えることがなされているのでしょうか。考えることの楽しさを知る機会が確保されているのでしょうか。考えることが私的なことであり、教え学ぶことにふさわしくないからと考えることを訓練されないまま、世に送り出される子供たちは考えるということをどう思っているのでしょうか。

難しいテーマであり口の重くなる場面も多々ありました。進行の難しさを感じた回でしたが、参加者の方々が考えることを楽しんでいただく時間となっていたなら、幸いです。また少し時間を置いて第3回目を企画したいと思います。
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  1. 2013/09/28(土) 13:59:56|
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