平成25年6月21日
第六回むこのそう哲学カフェ 開催報告 むこのそう哲学カフェ 運営委員会
進行役 赤井 郁夫
第六回むこのそう哲学カフェは2013(H25)年6月16日(日)の午後、梅雨の合間の暑くなった午後、10名の方にお集まりいただきました。会場は今回初めて こどもの未来を考えるお店「せいのお」 でした。今回も3名の方がポスターなどを見て新たに参加して頂きました。
日 時 : 2013(H25)年6月16日(日) 14:00-16:00
参 加 者 : 10名(男8名、女2名)
年 代 : 20代1名30代1名 40代3名 60代5名
テ ー マ : 「デジタル技術によって 人は生きやすくなったか?」
「生きやすい」とはどういうことか定義が必要であったかな、と思いつつまとめの作業をはじめました。進行の仕方が問われた回だったと感じています。ある意味で一番今日的な(Up to date)な話題ではありました。
できるだけ発言の趣旨を再現しようと思いました。混沌としているようですが私にはデジタル技術に対する態度が徐々に形成されていく過程のように思えます。
◆デジタル技術は生活にどう影響したか
・便利になりました。生きやすい社会とは便利なことは間違いないと思います。
・デジタル書籍を使っていますが、最初は読めるだろうかと心配でした。しかし使えますし、場所の節約になるし、持ち運びも非常に便利です。ただしほんとに欲しい本は書籍を買います。デジタル書籍は検索が便利だといいますが読み込んだ書籍の検索はパッとページを開けられます。苦労はしません。
・情報が格段に増えました。
・デジタル技術の恩恵の大きなものはインターネットです。何でも質問できるサイトがあって、判らないことを質問すると誰かが答えてくれます。例えば自動車選びに迷ったら、すでに乗っている人の意見を聞く事ができます。これなどネットでなければなかなか聞けないことです。ただ100%ではありません。中には中傷や礼儀を欠く書き込みもあります。どうも家庭、夫婦間、しつけなどの質問には礼儀を欠いた回答が多くなる、そのような傾向があるようです。
・情報が膨大で捨てることが大切になっています。質問できるサイトでもその答えが素人の返事かもしれません。やはり専門家の意見がほしい時もあります。
・デジタル化は情報化だと思いますが 工業製品の生産技術でもあります。特に従来なら職人の腕に頼るしかなかったことがデジタル化で素人にもできるようになり、職人が失業したり職人技が伝えられなくなったりして仕事や守られていたものを失うことになっています。
・デザインの分野では今は「データありき」の時代です。従来使っていた機械は使うのがだんだんしんどくなってきましたが、そのようなことがなくなり、打ち合わせもいちいち客先へ出向く必要もなく、データを送ればそれでやり取りができます。値段は安くなり、納期も早くなりました。ただ、従来はあったものが無くなって各工程のお付き合いが割り切ったものになってしまいました。また、若い人は今が当たり前なのでなぜこれはこうなっているか、と言う理由がわからなくなっています。使わないから覚えません。
・私は最近まで携帯を持っていませんでした。それで感じたことは、例えば友人と待ち合わせる場合、いつでも連絡が取れるので相手のことを思って約束の時間や場所をきっちり守るという当たり前のことがルーズになっています。デジタル技術が人との関係性を変えてしまったと思います。
・グランフロントのナレッジキャピタルで「世界一展」をやっています。そこで見たのは3Dスキャナーで全身を数秒でスキャンし、そのデータを使ってあっという間に「服」ができる。すごいと思いました。
・アナログとは技術の次元が違うのでしょう。生きやすい社会とはバリアフリーなどをいうのではないでしょうか。テレビで生きやすくなったとは言えないと思います。
◆デジタル技術が置いてきたもの
・自作のポストカード展で多くのお客さんから「原画」のことを尋ねられました。作り手としてはアイデアの段階を過ぎればツールとしてのデジタル技術を活用して作成しているので、「原画」と呼ぶべきものはないし、あまり意識もしていません。しかし「原画」には心を動かすものがあるのか、大切にすべきものなのだと思いました。
・デジタル化で失われたのはその人の過程ではないでしょうか。と言うかプロセスが見えなくなりました。例えば油絵は色を重ねて行くプロセスが残っていますが、デジタルでは失敗の痕跡すら残りません。
・手作りだったイラストがソフトウェア化した結果、制作の過程にあったたくさんの「こと」がなんのためにあるものなのか、意義が忘れ去られてしまいました。職人の知恵や人々の営みが感動を与えてきたものがなくなってしまいました。
◆どっちなんだろう
・デジタル技術の普及によっていろんな次元で生きやすい、便利と思います。例えば電車での旅行を計画する時は昔は時刻表を見て段取りを考えるので頭を使っていましたが、ほんとに乗換案内は考えなくていいですね。そういう点からは生きる力や、創造性、努力が要らなくなってしまいました。
・デジタル技術は楽ができる…ということでしょうか。しかし、デジタルに生きる世界では誰にでも簡単にできる、つまり取り換えが効きます。また誰でも一定のレベルで何でもできるので、少々頑張っても他人と同じレベルにしかならず、抜きんでるためにはもっとシビアになってくると思います。
・デジタル・アナログを融合させようとする流れがあります。①時計の文字盤は、一時はデジタルが流行りましたが、今は針式に戻ったり両方備えたりしています。また、②メールでのグリーティングカードは、パソコン通信時代にも流行りましたが、すでに廃れたようです。
・子供にスマホを持たせてどこにいるかわかるというサービスがありますが、これなど「監視されている」面があります。営業マンなどもそうかもしれません。
・GPS(グローバルポジショニングシステム)は自分の位置を知るのが目的だったはずが特定の人間の位置を知るとかたくさんの情報を集めて車の渋滞情報を得るとか、使う側が意図したものとは異なる使われ方をしています。
・スマホの急速な普及は小さなコンピュータを持ち歩いているのと同じであって、便利になって生きやすくなったともいえます。しかしこの便利さを享受するためにはリテラシーが必要でそれがない場合には逆に不便になってしまいます。
・物を買うのも簡単になりました。家電製品を買うのもどこが一番安いのか、店をうろうろする必要はありません。それどころか日本全国で一番安いところから配達されてきます。
・簡単にものが手に入ることで愛着が無くなってきたと感じます。
・コミュニケーションには「非言語的」なコミュニケーションが重要です。パソコン通信の時代からあった掲示板の「炎上」は、些細な誤解から始まります。人は姿が見えないと抑えが利かなくなるようです。このことはネット社会ではあらかじめ危険を避けることが非常に困難であることを意味しているでしょう。
・昔の偉人たちが残した書簡を見るとそこには人格が現れています。しかしメールではそのようなこともなくなるでしょう。
・オークションに出品して販売するというのは非常に便利です。古本などを売る場合、今までならせいぜい2,3件の古本屋を回るのが精いっぱいです。最近は本の値打ちが判らない古本屋も多く、二束三文ですが、オークションを使うとものすごい人の目に触れることになり、いい評価をしてくれる買い手が見つかることが多いです。
・オークションで買う場合は見えない相手と直接戦う感じでしょうか。落札できずに入札を繰り返していくと怖くなってきます。魔物を相手にしているみたいな不思議な感じがします。
・デジタル製品は見た目がきれいで昔の重厚長大の製品の生産過程で公害が発生したようなイメージがありません。でもほんとうは大量の化学薬品を使って作られていることが隠されていると思います。
・ネット社会は知りたいことを探すのも簡単ですが、知らなくてもいいことがさっと流れてきます。検索も仕事ならいいでしょうが、急いでいなくても「早く」できてしまいます。すると、本当は大事にしたかった「知るまでの過程」がすっ飛ばされてしまいます。
・携帯やスマホは新しい機能を求める刺激が魅力なのでしょうか。
・難病を抱えている方が方々医者を尋ねても諦めきれずもっと情報を得ようとブログを立てることがあります。同じような困難を抱えている方から情報を集められ患者やその家族にとっては非常に力強いことだと思います。
・逆に根拠のはっきりしない情報を信じてしまい被害をこうむることもあるでしょう。
・デジタル技術は役に立つ場合も被害をこうむるどちらの場合も、誰でも扱える反特権的な機能を持っていると思います。
・デジタル技術によっては職人並みの知見を実現するのはまだまだ困難でしょう。
・従来、隠されていた事柄がデジタル技術によって明るみになり、それによってはっきりすることは良いこととは限りません。
・人工知能やエキスパートシステムが流行ったことがありました。その時例えば病院の受診前の問診に使われていましたが、いつの間にかなくなりましたが、やはり人が顔を見ながらやらないとうまくいかないようです。
・デジタル化された健康診断情報が多くの人を救っているのは事実でしょう。
◆「生きやすさ」とはどういうことか
・意味が多様でまよいます。個人差があることである人にとってはどうでもいいことがその人には重要であることもあると思うので生きやすさを定義することは難しいです。
・便利さは生きやすさにプラスかマイナスでしょうか。
・生きやすさには関係する要素が多く、例えば愛着、努力のプロセス、便利さなどが少しづつ繋がっています。私にとっては気持ちよく生きるということに近いと思います。
・生きやすさとはデジタルでもアナログでもしたいことができること、ツールとして使いこなせることが私にとっての生きやすさです。
・生きにくいのは、信念を持って生きるということが難しくなってきたと感じます。
・デジタル技術が社会的に雇用を押し下げました。インターネットやグローバル経済が安い雇用を生み出しそれによって商品が大量に生産され、労働者は使い捨てで取り替えが効くものになっています。
・元気な時代の日本を知らないですが、便利とか成長とかが善であるという前提が未だに崩されていないと思います。代わりになるものが見つからず突っ走っているように感じます。便利と成長を取っ払って「生きやすいことがよいことである」とするのがいいと思います。
・便利な世の中にはなったが、使いこなすリテラシーがないとその宝に出会えずデジタル技術の恩恵を受けられません。
・生きやすい世の中には確かになってきたと思います。しかし社会が生きやすいということと個々の人が生きやすいと感じることとは別なことだと思います。生きやすさを自分に惹きつけて考える必要があります。
・デジタルデバイドが多数か少数かと言えば少数ではないでしょうか。
・いいものに出会うまで待っておこう、楽しみが無くなります。
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生きやすさの定義、今回の一つのポイントであったと思います。生きやすいとはどういうことでしょうか。ある方はバリアフリーをイメージし、ある方はデジタル技術を使いこなすリテラシーを持つことに焦点を当てられました。逆に生きにくいこととは、信念を持って生きることができにくいこと、取り換えの利く部品のような存在などの意見がありました。
みなさんがそれぞれ経験されてきたデジタル技術を身近に感じる事例、皆さんが感じられたことを話していただき、改めて考えてみました。
次回は7月14日(日)14時から場所はカフェ・トレピエです。テーマは「シリーズ~考えるを考える」。
人間の特徴は考えることでしょう。考えるということをいろいろな切り口で考えてみたいと思います。そのため、シリーズ化してみます。次回は冒頭に少し時間を取って、「今日の切り口」や「本日のサブテーマ」を皆さんと決めてみましょう。積み残した課題やおもしろそうな切り口は次の機会に取っておくことができます。
皆さまのご参加をお待ちしております。
では、カフェ・トレピエでお会いしましょう。
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<蛇足> 長歌です。五七五七……五七七、なのですがあまりお目にかからないと思います。駄作ですが「反歌」付きです。 「デジタル技術の使い方Ⅰ」
デジタルの 機器に使われ ああ便利と そこで終われば 次に待つ 倦怠だけでは 済まなくて 起伏を失くし のっぺらぼーの 世界に成れば デジタルに 奪われたのは 私たち 顔と個性を 奪われて 顔を失った 私には 私たちには 罪はない 私を救え! 過ちを 犯したのでは 断じてない ほんの少しだけ 気づかずに 怖いと感じて だまっていた それだけのこと それだけで 私たちには 生活の 組み立て方が 分からない 楽しみ方を 見失い 価値とふものに 測られる 生き生きと 生きるためには デジタルの 技術を使って 何事か 始めてみよう 検索だけ するのではなく コピペして レポート作る だけでなく 連絡つくとて 安心せずに もっとチャレンジングに 生き生きしたい
「デジタル技術の使い方Ⅱ」
擦り切れて なくなるような 自らを 組み立てなおせ 生活を 隙間風吹く シラミ湧く たたみに雨が 滲みている あばら家でよい 自らを 救える場所で 顔を見て 話してみよう 演じ歌い 作って食べよう 遊んでいい 楽しめばよい デジタルの 技術従え 作り出せ しもべの如く デジタルを 使い倒して 例えれば 自転車のように 少しくは 凝った造りには なっているが 乗るのを覚え 行く場所の 広がったことは 忘れない 心配はいらぬ 乗りこなす 練習もできて 楽しみを 作る楽しさ すぐ覚え 頭をあげて くだらない 真面目さなんかに 騙されて かすめ取られた この人生 取り戻したい デジタルの 技術の主体と なれるのは 私たちだけ あばら家の 遊んで楽しむ その場には 市場資本主義 手がでない 消費資本主義 とどかない 金融資本主義 巻き込まれない
反歌
歳とれば広がるデバイド リテラシーないのはわずか10年後のわたし
生き生きと楽しく遊ぶリテラシーありなばそれを身に付けるカフェ
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2013/06/22(土) 03:47:47 |
2013
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