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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

130504第四回武庫之荘哲学カフェ開催報告

第四回武庫之荘哲学カフェ 開催報告

武庫之荘哲学カフェ 運営委員会
進行役 赤井 郁夫

武庫之荘哲学カフェ第四回目は平成25年4月27日(土)のゴールデンウィーク初日の良く晴れた午後、13名の方にお集まりいただきました。会場は尼崎市女性センター1階にあるカフェ・トレピエ。マスターの北川さんにご協力いただき大きなテーブルを囲んで各自好きな飲み物を頂きながら行いました。

日   時 :   平成25年4月27日(土) 14:30-16:30
参 加 者 :   13名(男7名、女4名)
テ ー マ :   「あなたは だれ?」


今回のテーマは「私はだれ?」と自問するのではなく「あなた」に、問いかける形にちょっとひねってみました。

開催に当たりいつも冒頭で哲学カフェとはどんな場なのか紹介しています。

「ここは哲学の野原です。皆さんが今から言葉の水撒きをします。
すると、いろんな芽が出てきます。どの芽がどのように育っていくか全くわかりません。よく育っている芽だなと思っていても茂るだけで花も実も付けないかもしれませんし、ちっとも大きくならないなあと思っていたら、突然のようにポコッと大きな花が咲くかもしれません。ですからどんな芽も踏みつぶさずに大切にしましょう。」

と言うのですが、今回は後半、話題がガラッと変わって皆さんも「おっ」と感じられたのではないかと思いました。

以下、その時の様子をご報告いたします。


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【まず、テーマについて次の3つに関連して意見が出されました。】

◆「あなたは だれ?」と聞かれたら…どう感じるか。
・自分の属性(名前、性、仕事、所属など)、自分も知っていることを答えます。ところが自分の体は細胞も骨も毎日入れ替わり、2,3年前の自分とは変わってしまいます。でも子供のころからずっと自分は自分と言う感覚はなくなりません。
・「おぬし何者か!」と言うような上から目線を感じます。「なんでソンナこと聞かれなあかんねん」と感じてすっとは答えにくいです。
・これは、「誰何(すいか…誰であるか問い質す)」であって、例えば侵入者に対して行われ、対等な関係ではないことが前提です。事前に名乗って自分を明らかにして対等になれるし、昔武士は出身藩と名を名乗ればそれで判別できました。
・久米宏のニュースステーションで池田晶子さんがゲスト出演していて最後に「あなたはだれですか」と聞かれ、「それをずっと考えています」と答えていたことを思い出しました。

◆このような問いが発せられる状況
・普段はこのようには問われずに生きています。問われる時は特殊な状態で、自己紹介で性格や趣味などいくら話しても問われている自分が明確になるわけではないです。
・時代劇では「俺はなにをするのか」と自分に向かって問う場面があります。
・「どちら様ですか」と会社の受付で尋ねられる場合には自分の所属する会社像を尋ねられていると思います。
・病院では本人確認のために性別年齢、氏名などを繰り返し聞かれます。
・あなたはだれ?と言う問いには、驚きを持って思わず尋ねる感じがあります。
・あなたはだれ?と聞く手前に別の質問があるように思います。
・名を聞いただけの状況もあるのでは。何もないのに「あなたは誰」とは聞かれません。
・葬式などで知らない人がいて、あの人は誰?と言うことはあってその場合は人間関係を問うているのでしょう。
・あなたはだれであるか、ある程度知っているかそれを承知で聞くことがあります。もっと知りたいと思って聞くのです。

◆「あなたは だれ?」と聞かれたら…どう答えますか。
・人間ですと答えます。「見てわからんか」と思う。これがカブトムシから聞かれたら、説明せなあかんかもしれませんが。
・海外に行っていてあなたはだれかと聞かれたら日本人ですと、答えるかな?
・「見た通りの人間です」という答えもあります。


【次に、「わたしとあなたの関係」について意見が交わされていきました。】

◆問う人と答える人
・わたしが私に向かって「あなたはだれ」と、つまり「私は誰」とは問えるが、「あなた」と言う他人は物理的存在であって他の人に「あなたはだれ」と聞かれてもその人の中にある無意識が発言や行動として出てしまっているので、その問いに答えられないと思う。
・「あなたが好き」と言う時はあなたが誰かと言うより、あなたの態度や性格を好き、と言っていると思う。この時、私は「あなたは私と対等な存在である」と思っているのだと思う。自分と対等と思うから相手を知りたいのだと思う。

◆期待されている答
・「あなたはだれ?」と言う問いの答えとして何を期待しているのでしょうか。簡単ではないと感じるのは、自我、自己、アイデンティティとは何かと言うことにかかわっているからでしょう。
・その人の全部がわかるのではないことが前提であっても、自分とその人の関係の中でその人のイメージを持ちたい、多角的な面で自分の知らないものを知りたいと言うことではないでしょうか。
・あらかじめ何らかの状況があってさらに聞き出したい。期待する答えの属性(名、職業など)は限られているが、答える側としては一言、まず「わかってもらいたい。」そこからあなたと私の関係がどう進んでいくか、につながると思います。
・けんかの場面で「こら!おまえだれや!」と言う時、もう一度あなたと自分の関係性を問うていると思います。
・答えとしては「自己紹介」になるだろうが、自分はそれが苦手です。

◆聞かれ方
・「あなたはだれ?」の聞かれ方は実際にはもっと具体的でしょう。日本人ですか、どこから来ましたか、どこの会社の人ですか、という問いかけ方になると思います。これらはみな、関係性を尋ねられていると思います。
・たとえば哲学カフェに参加するという条件がないと聞かないのではないでしょうか。初対面の人に聞く時には期待する答があると思います。
・期待する答と言う点では、認知症で家族の顔が分からなくなった患者が家族に「あなたはだれ?」と尋ね、「あなたは私の妻じゃないですか」という答えを期待していて、その答えにほっとする場合があります。
・例えばなぜあなたは美しい?と聞くことは美しい理由を知りたいから聞くので、聞きたい答え、期待があります。
・「あなたはだれ?」と聞かれるのは嫌です。それは他人と関係を持つことが嫌というか苦手と感じるからでしょう。これには性差があるようで男より女のほうが関係性を持つハードルが低いようです。
・関係性を深めたければもっと具体的な質問をします。質問を限定しないで信頼を築けるように色々聞くと思います。
・この質問に反発が来ることがあるでしょう。それには自分が相手にオープンであるか、何かを守っているかも関係しているでしょう。相手が居て成り立つことと思います。


【人には他人と共感したい、共通項を探したいという気持ちがあるのではないでしょうか、それが「あなたはだれ?」と問うことの根っこにあるのではないでしょうか】

◆共通項、共感
・どこの自分、自分の何を表現するか、属性をいくつ答えても答えつくせないことから考えると、アイデンティティや共通項を探しているのではないでしょうか。そして仲良くなるために、知りたい、共感したいと思っているのではないでしょうか。
・自分にないものを持っている人に好意を持つこともあります。
・質問する側の(答えに対する)反発も、答える側の反発も誰何する場合も、関係を確かめたいのだと思います。
・このような質問はその文言の如何ではなく、聞くこと自体が失礼な場合もあると思います。
・好意を寄せる、あるいは興味を持った人になんらかの関係を作るきっかけとして聞くこともあるでしょう。
・相手のことを聞きたいから自分のことを言うというコミュニケーションの取り方があります。 


【あなたはだれ?と言う問いとその答えを巡る人間の関係性について意見が展開されてきました。ここで最初の発言に戻って別の展開が進みます】

◆わたしは私
・あなたはだれ?と聞かれて「わたしは私」と思うのです。もし手を失ったり足を失ったりしても私は私。でも脳みそがなくなったら意識だけを脳から取り出すわけにいかないので、どうなるのでしょう。
・昔の私と今の私とは違います。人生は変わるもので、例えば怪我や環境の変化によって自分が変わる、性格や性質も変化することはあります。
・今の自分は子供のころの自分とつながっているが、違うと感じます。
・よく違った人生を歩む、と言う言い方をしますが、それは違ってしまうのではない。何をしてきたか、ライフワークや仕事を答の説明に使うことで具体的に答えることになります。
・あなたはだれ?と聞かれたら「日本一のあほや」と答えるなあ。
・カフカの変身と言う小説がありますが、歳と共にできなくなることがたくさんある。それを受け入れていくこと、変化を受け入れることはみんな同じでしょう。

◆あなたはどう思う?他己紹介!
・つながっているのは何かなあ。性格は変わるし、でも自分は自分。普段は自分の一部を表現しているのだが、「そんなんしらんがな」と答えるか、「あなたはどう思う?」と返すか。
・認知症になってわたしは私が分からなくなったら私は途切れるのでしょうか。記憶や関係性など、つながらなくなってしまったときわたしは私でなくなると思います。逆にわたしを私足らしめているものがある。なにか保証されるものがあると思います。
・他者との関係性がなくても私はわたしであり続けるのでしょうか。
・「ジョハリの窓」(対人関係における気づきのモデル)に、自分も他人も判らない自分がいて、その自分に判らない自分も含めて自分であるという理論がります。
・自分と言う存在は時間とかかわっていると思います。築いてきたもの(・・)やこと(・・)に関係していて完結しているものだと思います。
・親の付けてくれた名前が漢字の読み方が難しく、親を含めてみんなから一般的な読み方で呼ばれ続けてきた。ある日、親から今日から正しい名で呼ぶと言われた時の混乱、今までの自分がどこかへ行ったような、なんだったのかと言う思いを経験しました。
・関係性から考えると「あなたは誰」と問うことは「私は誰」と問うことと同じで「あなたは誰、自分は誰」と問い続けて自分がわかっていくと思う。その意味で、わたしは私でもわたしではないのかしら。
・「他己紹介」と言うゲームがあります。他人から見た自分とのずれ、見てほしい自分とのずれ、これを通してあったばかりの人であっても親密になれます。
・今回のテーマは参加者の方々にいろいろな受け取られかたをしたようです。そのまま、受け取る立場、自分の内省である立場、私は何者ですと表現することは別な、自分を単に説明することとは違う何かについて考える立場、などでしょうか。


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「まとめにかえて」

哲学カフェの報告をどのようにすべきか、毎回スタイルが変わっていきます。一つ一つの発言がとても大切に思えるので、思い切って極力文書に落とし込むスタイルとしました。メモが判読できなかったところ、趣旨がうまく文書化できていないところもあります。収録した51個の発言が、皆さんの関心が創発的に広がっていく様子を伝えられたらいいなと思います。


次回は、平成25年5月19日(日)14:00-16:00、西富松会館集会場にて行います。テーマは「我を忘れる、その時わたしは何を忘れるの?」です。


ではまた。

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