第7回1dayソクラティックダイアログ テーマ 「大義名分」 日 時:2023年3月19日(日) 9時-19時30分 会 場:尼崎市営今北団地 集会場 参加者:4名 進 行:赤井 この1dayソクラティックダイアログは、第1シリーズ「戦争を放棄するとはどういうことか」をテーマにしたセッションのサブセッションである。文中【No※】は書き出された模造紙の番号を示す。時間はおおむねの時刻である。 第7回目は予定通り終了しました。
ご参加いただいた4名の皆様、ありがとうございました。
人数が少なめでしたが、議論は十分重ねられていると、感じながらすすんでいきました。参加者のお力を得られたお陰です。
さて、「あまがさき哲学カフェ」で取り組んでいる1dayソクラティックダイアログは「戦争を放棄するとはどういうことか」を考えてみようと始めました。
第1回目を行う時、はたして戦争放棄を考えることがソクラティックダイアログで可能なのか、全くわからない状態でした。回を重ね、ソクラティックダイアログそのものが上手く進められていることに手ごたえを感じていました。
コロナウィルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言のため、2年間もセッションが途絶えることとなりました。再開するにあたり、ブランクが開いたことが心配でした。
会場を団地の集会場に移し、私が普段活動している「ぐれいぷハウス」の近くでできるようになったことは運営上ラッキーなことでした。前回からスタッフの方に昼食やおやつを作っていただくことができるようになりました。
ソクラティックダイアログでは美味しいご飯やちょっとした心遣いに触れることが長時間のセッションをこなしていく支えになるものです。ご協力いただいたスタッフにも感謝しながら、第7回の成果をご報告いたします。
*************
9時:今日呼ばれたい名前と一緒に簡単に自己紹介し、早速事例(4例)の検討に入る。
提案者がなぜテーマを考えるのに事例がふさわしいか、を事例の詳細を加えながら説明する。【No1、2】
事例1.医師の大義名分として「患者が苦痛の中で過ごすことになる。それは良くない」と言うが本音は手術や処置が面倒ということではないか、との疑念がぬぐい切れない。という提案者の説明に対し、患者の状態は重篤であり提案者が感じた責任感、重圧感は思い過ごしで医師の助言に従った判断は妥当である。この場合は大義名分と言うより建前と本音のケースではないか。
事例2.二つのグループが対立するとき大義名分はそれぞれにあることが分かる。大義は正義のことであり、名分は身分のことである。この場合身分とは属するグループのことであろう。それぞれの大義はそれぞれ理解可能で納得できるものである。
事例3.政府から出された宣言は日常生活では圧倒的な力を持っている。それを大義名分として使っている様子が分かる。大義名分として使われている現場で関係者がどのように受け入れ納得しているかもわかる。同時にこれからコロナが終息した時にどのような展開になるか、考えさせられる。
事例4.
オーディオ好きな人のコミュニティーでは高価だと思われるスピーカーやアンプなどの機材をそろえるのは一般的なことととらえられている。その中でメーカーが製品を推奨する方法として「音楽を愛する人にはわかる・・・」は脅し文句、あるいは上から目線の嫌がらせなのだろう。
10時45分:この事例を検討し、事例3を選んだ。
選ばれた事例3の詳細の記述【No3、4】
事例3提案者に詳細を話してもらい、それを書きとる。そこに参加者からの質問によってさらに詳細が加えられていった。これにより大義名分がどのように使われたが明らかになっていく。大義名分を使う背景、予想される効果、大義名分を使ったことの反応などが加えられていく。
【No3】 ***************
子どもが生まれた二十数年前から、毎年欠かさず【結婚後深く考えず、そうするものだと、集まっていた】 義理の両親【ともに元気で父80歳、母74歳】の家に集まっていました。
【普段の交流は月1回程度で】市内で車で行っていました。私の家族【子どもは娘22歳、弟17歳】と義理の兄【50歳、義姉52歳、子ども3人との大学生、娘22歳、息子20歳、息子18歳】の家族が集まっていた。子どもが小さいときは子ども同士が遊んでいて楽しい【小学生までは近所の公園に行っていたが、やがてゲームをするようになる】が、少し大きくなってくると【10年ほど前からだろうか】大人同士が面と向かって話さなければならない。子どもの学歴の話もしづらい。【話がない。=大人の生活は変画家少ない。旅行の話などはする】
義理の両親も年を取り「時間大丈夫か?」「忙しいんやろ」など、帰るとホッとするような感じがわかるようになってきた。
【本音では、もう集まりたくなくなっていた】
それでも帰り続けていたが、コロナのパンデミックが始まり緊急事態宣言が出されました。【自分では人と会わないほうがいいと思っていた】 そのおかげで自分で集まるのをやめようと積極的に言い出さなくても【夫と集まることについて初めて話した】お互いに集まるのをやめられた。【Win-Winの関係だ。】まわりではあえて外出や集まることを良しとする人たちもいたが、専門家が言っているんだから【大丈夫と言われたらそう思うが、意見が分かれているときは、自分の気持ちにピタッと来る方を取る。行動に続きやすい。ジャーナリズム・マスコミのあおりでそうなるのか、自分で考える】、と堂々と親戚づきあいもなしにできた。【話題を作れる人がいると集まりやすい】
**************
直接、模造紙に書き込んだ以外に提案者の子ども時代の親戚づきあいの様子なども記録された。
12時00分:昼休み
13時00分:中核的判断の抽出【No3→No5】
事例3の詳細から、中核的だと思われる個所を6か所選んだ。
1. 専門家が言っている
2. コロナのパンデミックが始まり緊急事態宣言が出された
3. Win-Winだ
4. 里帰り
5. 子どもが小さいときは子ども同士で遊んでいて楽しい
6. 義理の両親を喜ばせる嫁
【No5】 この6か所を含み、事例の中核的判断と思われる記述を行った。
里帰りを結婚後何の疑いもなく行っていた。コロナパンデミックが始まり、専門家の意見も出され緊急事態宣言が出された。ジャーナリズムやマスコミが煽り、自分で考えることを迫られた。大義名分としての宣言により「しかたない」と思わせられ、個人攻撃をしなくてよく、考えなくてよいシステムとして、パニックが抑えられた。里帰りをしなくても済むようになった。
14時30分:主となる問いを立てる
【No6】中核的判断から主たる問いを立てるために問いの候補を立てる。
1. 大義名分はしかたがないことなのか?
2. 大義名分はどういう時に求められるのか?
3. 大義名分は誰のために役に立っているのか?
4. 大義名分は根拠はあるのか?
5. 大義名分がなければどうなるのか?
6. 大義名分はいつ生まれたのか?
7. 大義名分を使う責任はだれが取るのか?
これらの問いの候補を検討した。
主たる問い: 大義名分の根拠はどこにありその結果はだれが責任を持つのか?
【No6、7、8】
この主たる問いにどう答えることができるだろうか。検討しながら答えの試案を作る。
17時00分:答えを書き上げ、修正を加える
<答えの試案>
大義名分の根拠は善なるものであり、それはムラの原理である。これは共同体の中でのみ通用し、普遍的ではなく、期間も限定的である。
その責任は大義名分が①通用しなくなった時、大義名分の真偽には関係なく、責任を取る必要が生じる。共同体の中で琴が住む場合、その責任はうやむやになる。/しかし外部との交渉がある場合は②大義名分が失敗したことについての責任を取る者を生贄として差し出す③。
出来上がった答えを事例に戻って検証し、修正を加える。
1. 共同体づくりに失敗することを含み を①に挿入する
2. 新たな大義名分を使うか を②に挿入する
3. 「事もある」 を③に加える。
<修正後の答え>
大義名分の根拠は善なるものであり、それはムラの原理である。これは共同体の中でのみ通用し、普遍的ではなく、期間も限定的である。
その責任は大義名分が共同体づくりに失敗することを含み通用しなくなった時、大義名分の真偽には関係なく、責任を取る必要が生じる。共同体の中で事が済む場合、その責任はうやむやになる。/しかし外部との交渉がある場合は新たな大義名分を使うか、大義名分が失敗したことについての責任を取る者を生贄として差し出す事もある。
答えのポイント
① 大義名分の根拠は善である
② 共同体の中でのみ通用する
③ 普遍的ではなく、期間も限定的である
④ 大義名分が通らなくなった時、責任問題が起こる
⑤ しかし、共同体の中で事が済む場合、その責任はあいまいになる
⑥ 外部との交渉がある場合のみ、責任を取る必要がある
⑦ その場合、新たな大義名分を持ち出すか
⑧ 責任を取る者を生贄として差し出す
18時15分:答えの妥当性の検証
答えを事例に戻して答えの妥当性を検証する。今回は事例に戻る前にウクライナ情勢に当てはめて考えた。
ウクライナ・ロシア双方にそれぞれの戦争する大義名分がある ① 。それは互いに相容れず、各国内でしか通用しない ② 。
もし、戦争が勝敗という形で決着した場合 ④ 、ウクライナが負ければロシアから責任を取ること=責任者を差し出すことを求められるだろう ⑥、⑧ 。しかしウクライナの大義名分がなくなるとは限らない ② 。またロシアの大義名分は維持されたままであり ② 、ウクライナの負けと責任者を差出したことでは戦争が終結しない可能性がある。
ロシアが負ければプーチン大統領が政権を放棄する形で責任を取ることになる ⑥、⑧ 。しかしウクライナの領土への触手が収まらない場合がある。それは大義名分が残っていて ② 、それがなくならない限りロシアの再侵攻はあり得る。
大義名分から考えると、勝敗を決することは戦争の終結を意味しない。特にウクライナが負けた場合、第3次世界大戦への拡大もあり得る事態となる。
戦争が停戦または休戦となった場合、各国での大義名分は維持されたままである ④ 。それぞれの国での責任はあいまいになる ⑤ 。外部の国からの干渉が大きくなければその状態が維持される可能性が高い。もし、外部からの干渉が強くなった場合 ⑥ 停戦や休戦がたやすく破られることになる。
つぎに選ばれた事例3に戻して検証する。
パンデミックにあって国の宣言は国民にとって絶対的なものである ① 。一方、国が違えば対応にかなりの差があり、やり方やタイミングなど各国の事情が反映している ② 。
それが上手くいったかどうか、他国との関連が強くなければ干渉されることはない ⑤ 。すると、国内で大義名分が上手くいったかどうか、その責任はうやむやになるであろう。
一方、親族の共同体にあって親族が集まることをやめる理由として国の宣言は大義名分として機能した ① 。しかし他の家族にとっては国の宣言を大義名分として同様の行動をとるかどうかは決まらない ② 。
宣言を大義名分として使った共同体の内部では、それが通用しなくなった場合でも責任を追及されることはない ⑤ 。しかし、他の家族から親族が集まらないことを指摘されたとしたら、親族の誰かが説明する役目を負うことになるだろう ⑥、⑧ 。
最後に選ばれなかった3つの例に戻して検証する。1,2については答えが妥当すると考えられたが、4については共同体ではなく、個人のことである点が上手く妥当しなかった。
19時30分 終了
************************
ウクライナ情勢は参加者が気にしていることは、セッションの進む中でちらちらと言及されることでわかっていました。「大義名分とは何か」の答えが出たとき、ウクライナ情勢に充てて考えてみたい、どうなるのだろうと興味がわきました。
結果は、もちろん実際の情勢を吟味したものではないので妥当性は確保できないと思います。あくまで「大義名分」が戦争においてどうやら不可欠なもののようである、という点から見てみた結果です。
他国のしかも戦争と言う極限の状態は言及がしにくいものです。今回、大義名分とはこのようなものである、と言う知見を持ち、その切り口から見るという行為を始めて行いました。
参加者と一緒に考えた知見がどのように機能するのか、鮮やかにみえてくるものがありました。
さて、次回は大テーマに戻ります。
「戦争を放棄するとはどういうことか」 ぜひ、ご参加くださいませ。
関連記事
スポンサーサイト
2023/03/21(火) 17:36:43 |
あまがさき哲学カフェ開催報告
| トラックバック:0
| コメント:0