日時:2023年1月14日(土)14-16時
参加者:7名 会場:西富松会館
武庫之荘哲学カフェは当面「生命」をメインテーマに生命にまつわる事柄を話し合っていきます。
2023年初めての【あまがさき哲学カフェ】は「生命」をテーマに行いました。
◆問いの候補
生命について参加者が考えていることを述べた後、本日の問いを決めました。
・物質と生命の境目 DNAは物質であるが細胞は生命である。生命現象はどこから起こっているのだろうか。
・心と生命の境目 こころがあると言うのは高等な生命の特徴であるが、生命とはどういう関係があるのか
・人間と生命は 人間は命があることを知ることができるが、そのことと生命はどういう関係があるのか
・生命の軽重 生命の重さとは何か、何が軽重を決めるのか。
今日は「生命の軽重とは」と言う問いを切り口として考えていきます。
◆自分の命と他人の命
・自分の命は大切であるから、他人の命も大切だと考えています。
・自殺が法的に認められるほうが良い、と考える人もいます。
・死ぬかもしれない、と感じる体験から生命とはただそれだけ物であると感じました。
・命の重さを感じる人は生きようとしている人なのでしょう。
・難病で診断が付かない状態から病名をつけると、いのちを感じます。
◆命の軽重を与えるもの
・教育 教育がなかったら死を恐れることはなかったでしょう
・病気 たくさん子どもを産んでたくさん死ぬ時代から子どもの死亡率は下がり、平均寿命は延びました。
今は静かに死ねない時代です。命が軽く扱われる長寿社会では命の質(QOL)が却って落ちるでしょう。
・宗教 生と死に意味を与えたのは宗教でしょう。そこから命の軽重が問われることになったのではないでしょうか。
◆善悪の判断
・何かのために命を投げ出すことが始まった?ことで命や死に価値が生まれました。
・何のために命を投げ出すか、と言う時には善悪の判断があるように思います。
◆経済と組織
・経済的に発展した地域では命の価値が高くなります。貧困は命の価値を下げます。
・大規模な災害の時にトリアージを行うのは命の軽重を測っているのではありません。災害が命の価値を下げた、と言えるのではないでしょうか。
・大きな組織では命は軽んじられ、小さな組織ではそのようなことは起こらないようです。
◆文化
・西部を開拓した時、自分の身は自分で守ると言う価値観が定着しそれがアメリカ人を生み出したと言われているそうです。命の重さは自分で測ると言うことか。
・人権と言う発想は文化によって中身は違うようです。法治国家と言われるのは世界中で約40か国に過ぎないようです。
・家族を守るために命を張ることに何の躊躇もありません。しかし、戦争は誰かが始め誰かが命じて行われるものです。戦争で死ぬと言うことは誰かに自分の命を左右されることです。正当防衛でもないし何かを守るためでもないので嫌です。
・私たちは生かされているのでしょう。この世での役目がありそれが終わればお迎えが来るのを待つのが良い。
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「生命」を考えようとすると、つかみどころのないツルっとしたものを相手にしているような感覚があります。それは問いが立ちにくいことに表れてようです。
参加者の皆さんと、そもそも生命に価値はないと話していたとき、「なぜ、生命を考えたいのか?」と言う疑問が立ち上がってきました。
さて、私たちはどうしたらよいでしょうか・・・
次回は2月11日(土・祝)14-16時 西富松会館です。
武庫之荘哲学カフェは「生命を考えるとはどういうことか?」をテーマに行います。
【あまがさき哲学カフェ】は尼崎市内の数か所で月に6-7回土日を中心に行っています。
1月の予定は次の通りです。
21日(土)14-16時 たちばな哲学カフェ「ゆたかさ」
22日(日)13時半-17時 シネマ哲学カフェ
27日(金)19-21時 夜カフェ
28日(日)13-17時 子どもの育ち哲学カフェ
予約不要、途中参加退場自由。発言するしないも自由です。参加費は高校生以下無料。 「子どもの育ち哲学カフェ」は2部とも参加の場合2,000円、1部のみ参加1,500円、そのほかの哲学カフェは500円です。
お問合せは、メール:cashewnut27@gmail.com 携帯:080-6144-7331 赤井までお気軽にご連絡ください。
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- 2023/01/15(日) 18:12:38|
- あまがさき哲学カフェ開催報告
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