武庫之荘哲学カフェ第一回目を行いました。平成25年1月20日、穏やかな冬のひとときに10名の方にお集まりいただきました。
テーマは「人はなぜ踊るのか」です。
その様子をお伝えする方法として、沢山いただいた発言に依拠してそれらを再構成してみました。個々の発言をご紹介するより場の雰囲気をお伝えできるのではないかと思います。
******* 第一回哲カフェ!「人はなぜ踊るのか」*************
「踊り」は、自分の体についての意識と不可分な存在である。ちょうど幼児が体を動かして自分の体がどう動くのか知っていこうとするように、人は自分を知るために踊る。
その「踊り」によって人は自我を離れ、リラックスすることができて心地よい。それはトランス状態に至る手段でもあり、自分の奥底から湧いてくるものに動かされているようである。
「踊り」とはそれゆえ、嬉しいことがあった時、心の底からそのことを祝うため自分の知っている自分のすべてを投げ出してその人を踊らせる、そのようなものである。
その人が踊るとき、そこに他者がいる。他者もまた心の底から自分のすべてを投げ出して踊っている。すると、自分とのコミュニケーションであった「踊り」が他者とのコミュニケーションとしての「踊り」になって行く。
子供が楽しげに体を動かしていることを「踊り」と感じるように、他者と共有できる自分の体の動きとしての「型」があることに気づき、共有し始める。この「型」は了解可能でかつ、意味を込めることができる。「型」を通じて一層深い、色香をも漂わせるコミュニケーションが成り立つ。
このような「踊り」は人が日常ため込むストレス、あるいは悲しみを一気にプラスのエネルギーに転換することができる。
それゆえ神事にも使われ、これらのことを目的として「踊り」は洗練され、踊る人の努力を引出し、伝統となり時代を超えて共有されるものとなる。
人は「踊り」を嬉しい時の表現として、自我との対話の手段として、自我を離れてトランス状態に至る手段として、踊りを共有することによる豊かな他者とのコミュニケーションとして、踊り続ける。
「踊り」の奥深さ、あるいは豊かさは体操、スポーツ、ミュージカル、演劇あるいはダンスのコンテストなどとは一線を画しているようだ。
「踊り」は、体の動きのすばらしさや美しさ、リズムに乗っているか、チームの動きが揃っているか、言葉が通じるかではなく、
伝えるべきことが伝わること、悲しみを勇気に変える力を持つこと、自分とも他者ともコミュニケーションがとれることなどが際立っている。
それゆえ、人は踊る。自分と他者と時代を超えて伝え合うため。
…であるならば、踊らない人および踊れない人のために、
「心で踊ろう、歌で踊ろう、言葉で踊ろう、料理で踊ろう、スポーツで踊ろう!」
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哲学カフェの楽しさは自分の意見を言い、他の方の意見に刺激を受けることだと思っていました。
初めて進行役を務め、自分の思いを発言できないのはまどろっこしい、不満、つらい、などと想像していましたし、進行を終えてからも同じように考えていました。
ところが、進行に伴って取ったミミズの這うようなメモを判読して行くにつれ、みなさんの発言の多様さに驚いてしまいました。
初めての進行役で余裕がなく、目の前の話題から離れることができずにいましたが、進行役である私の意見など不要です。
みごとに皆さんの発言の中にキラキラ輝く"哲学”を発見した思いです。
初めて進行役を務め、今思い返しても一杯一杯で焦ってどうしようとドキドキしながらの2時間でした。
幸い顔見知りの方々に参加していただき、心強く感じました。終わってから定期的に開催することを励まして下さったり、協力を申し出てくださったりほんとうにありがとうございます。
継続は力なり。次回は2月10日14時より、テーマは「値段をつけたのは だれ?」です。
場所は阪急電鉄武庫之荘駅南改札口より南へまっすぐ3分のところにある<尼崎市女性センター トレピエ>1階、カフェ・トレピエです。
近日中にポスターをUPします。
さらに3月は17日の予定です。毎月定期開催できるようにしたいと思っています。
皆様のご協力に感謝しつつ、なおまた、応援をお願い申し上げます。
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- 2013/01/23(水) 00:47:16|
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