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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

0201026【あまがさき哲学カフェ】開催報告

第5回子どもの育ち哲学カフェ 開催報告
2020年10月25日(日) 
会場:尼崎市立すこやかプラザ

第1部 13:10-14:50 「選択」
第2部 15:00-16:40 「克服」

子どもの育ち哲学カフェは、テーマを「子育て」に特化した哲学カフェです。子ども、育つ、育てる、育むなど子どもの育ちを色々な面から考えてみます。


第1部 「選択」

子どもにおやつ食べなさい、というと「要らない」と言われてしまうので「サツマイモかトウモロコシかどっちがいい?」と聞くと「サツマイモ!」などと答えてくれます。

選択肢を与えるということは満足感を得やすいと思います。押しつけ感が少なくなるようです。
大人は、選択肢を与えられてもその選択そのものを拒否するという選択ができます。しかし子どもは与えられた範囲で選択してしまうようです。

選ぶという行為は何歳ごろからできるのでしょうか。おやつを選ばせるのも選択する能力をつけさせていると思います。大人のように選択肢そのものを拒否できるようになるのは何歳ごろなのでしょう。

◆あきらめる
選択とは、諦めさせることのように思います。自分で納得しつつ、取らないほうの選択肢を諦める、あるいは選択肢にそもそも入っていない選択肢を諦めることではないでしょか。

選択には段階があって、自覚的に選択をする段階はすでに事前に選択の結果、選択肢が絞られた状態になっているのかもしれません。
例えば人事評価などで相互評価を取り入れると、人事政策への不満が少なくなります。これは、選択する側が環境とのやり取りをすると、選択の幅が狭まるということではないでしょうか。

選択を迫る側からすると、それが選択の段階を次々と進めることになっているということでしょう。選択を迫られる側からは選択肢を絞られ、事実上選択してしまったようになる。
これらのことは環境とのやり取りを増やすことはあきらめがつきやすい、ということかもしれません。

◆価値観の転換
選択肢が狭められ窮屈に感じる時は、その選択肢を丸ごと捨て去ることもあるでしょう。それは価値観の転換であって、別の選択肢のセットを取り入れることになります。

しかし、その場から逃げたくても逃げられないとき、いっそのこと選択をしてそこを突き抜ける、というもの方法かもしれません。先へ行けば新たに選択の場面に出会えるからです。

◆過去を肯定する
過去は選択をした結果の連続でしょう。選択の結果に意味づけをして「物語」をつくる。それは未来がやってみなくてはわからない「運命」なのに対し、過去は変えられないので意味づけをすることができる。物語を作ることは過去を肯定し、今を肯定することとなっているようです。




第2部 「克服」

克服とはなかなか大仰な言葉です。乗り越える、などとも言います。ハードルを越えていくイメージでしょうか。あるいは一回失敗したことに再チャレンジして成功するイメージでしょうか。
ネガティブなことに努力が必要というのが克服ということでしょか。
弱さを乗り越える、怠惰を乗り越える、など継続性?のあるものについて克服というのでしょうか。

◆克服の対象
克服には対象があります。困難さが対象であることが多いようです。身体的ハンディを克服する、とか失敗した経験を克服するとか。
克服の対象には、どんな特徴があるのでしょうか。
自分が望んで対象に取り組む場合、それは克服であるより楽しみだったり大目標へ向かう小目標であったりするようです。するとそれは克服というなんだか重たいものではなく、チャレンジであったりただの目標だったりするのではないでしょうか

反対にそれが外部から強制されたあるいは内発的なものではない場合はどうでしょう。克服そのものが困難になる、なぜなら壁が高かったり関心が薄かったりしてそもそも向き合うことができないように思います。

◆克服と克己
苦手科目を克服するという場合、その科目が苦手ではなくなったのか苦手なままではあるが点数は取れるようになったということでしょうか。
偉人の伝記にはよく困難さや苦手を克服した話が出てきます。我慢、辛抱、努力が克服の3大要素のようです。しかし、辛さやしんどさ、たとえば「全く役にも立たないしごきに耐える」ことは克服なのでしょうか。

自分の好きな食べ物を我慢するとか、やりたくないことを我慢してやるとか、日常生活でよく直面します。些細なことですが己が試されているような場面です。この場合は克己です。克己の対象は己です。では、なぜ己を克服することが必要なのでしょう。

◆克服体験
子どもを育てるとき、何事かを強制することが必要なことがあります。良好な人間関係ができていることを前提に、強制的に何事かをさせる。目的は子どもが将来困らないようにということではあります。
社会が必要とする能力を獲得する過程での克服体験はやがて克己につながるように思います。克服体験を持つ人は克己が容易になる・・・取り組むことに抵抗がなくなったり少なくなったりして結果、克服できることが多くなのではないでしょうか。

小さいときから、少しのことを我慢する経験はやがて克己を容易にするのだろうと思います。
逆にそのような経験がないと乗り越えなくてはいけない事柄が巨大な壁のように立ちはだかるように感じられ、とりつくこともできないことになるのではないでしょうか。


*****************
11月は会場の都合でお休みです。12月は26日(土)13-17時に尼崎市立すこやかプラザで行います。テーマは第1部「信頼関係」 第2部「ことわる」です。

1月23日(土)は今までのふり返りとして「あなたにとって子育てとはなにか」をテーマに行います。

子どもの育ち哲学カフェはどなたでもご参加いただけます。哲学の知識は不要です。子育てについて考えたいこと言いたいことがあればぜひ、ご参加ください。

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