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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

0200704【子育て哲学カフェ】第一回開催報告

第1回子どもの育ち哲学カフェ 開催報告

日時:2020年6月27日(土)第一部13:10-14:45 第二部15:10-16:45
場所:尼崎市立すこやかプラザ
参加者:8名(男5名、女3名、うち中学生1名)


第一部テーマ:育つとはどういうことか

親とか先生とか 誰かに育てられた と思っている人は多いのですが、自分で「自分は育った!」という実感を持った人は 少数派のようでした。

育った実感を 持っている人は 幸せ感が強いようです。何かができるようになった ことを素直に 喜び 満足できているようです。一方 育てられた感の強い人は、例えば 自転車に乗れるようになったことを 自分の努力によるものだ と思うより 誰かにしてもらった と感じているようです。
突き詰めると、今 自分が生きていることが 全部 ほかの誰かのお陰である。生きることとは 自分の 存在の頼りなさを 確かめるようなことに なっているのではないか、と考えました。

日本の 社会が 育てることに 一生懸命で 育つことを待つ とか 見守るということを してこなかったせい なのかもしれません。ひょっとすると、富国強兵の 掛け声の 高かった明治時代から 現在に至るまで 延々と続いてきた 「育てよう!有用な人間」 キャンペーンのせい なのかもしれません。

一生懸命 何かをする、例えば 勉強をすることを オープンにしないで こっそりやって いい点を取る。出し抜く というか 騙すかのような手口で 自分だけが有利に立つ。これは受験の世界では ある種 王道なのかもしれません。
しかし、本来 知的活動の喜びとは 何か未知のことに出会い それを探求して いくばくかの知識を得る。その得たものを 他の人とシェアすることこそが 知的好奇心を満足させるものであり、喜びであるはずです。
すると、テストでは 他人に覗かれないように隠し、勉強していることすら隠し、自分だけが 高得点を得ようとする 行為は「万引き」の姑息さと 一緒なのかもしれません。

さて、このように 考えてくると 育てるという行為は いったい何なのでしょうか。この言葉には 何か こびりつくように 目的が 張り付いているように 感じます。一人前の人間に育てる。社会に出て 困らないように育てる。人に迷惑をかけない人間に育てる。
この社会の 価値観を 体現しようとすることが 育てるという言葉の 内実になっているようです。そこに 育てられる側の 事情は顧みられていません。このことが 育つことの 実感のなさに かかわっているのかも しれません。

育つという 字を使って 育む(はぐくむ) とも言います。この育む という言葉には 何か育つのを 待っている、育とうと しているものの 傍に 寄り添い じっと見守っている、ような 感じがします。
いつの時代から 私たちの社会は 育むことをやめ、育てることをするようになったのでしょう。

「育った!」という実感を持つことは幸せなことです。この感覚を繰り返し感じられることと感じられないことの差は大きいでしょう。では、「育った!」という実感を得ていくためにはどうすればいいのでしょう。



第二部テーマ「世話をするとはどういうことか」

世話をするということは、まず関心を持つことのようです。お世話になっている側からすれば相手から関心を持たれていて、よく観察されています。何を見られているかというと変化でしょう。変化に気が付くほど観察することが世話の土台にあるのでしょう。

愛をもって誰かをお世話するということは妥当なことなのでしょうか。愛を持ってお世話をしようと思っている人が言われたことは、相手の望むことだけをしてあげて下さいということでした。どうやら、観察がおろそかになるならば愛はいらない。世話をするには愛よりも観察が必要だということでしょうか。

仕事で客先などにいつもお世話になっております、ということがあります。いったい何のお世話でしょうか。下手に出て相手をくすぐる?ためかしら。もし、お世話の土台が関心を持つことならば、「関心を持っていただきありがとう」と言っているわけです。つまり対等であろうとする気持ちの表れであり、だからこそ「こちらこそお世話になっています」というやり取りが成立するのかもしれません。

身内の世話に限界があるのはなぜでしょうか。介護など他人にお任せした方がうまくいく例も多いようです。世話がマニュアル化が可能な部分と個別的でマニュアル以上の気配りのある部分との2層構造になっていることが関わっているかもしれません。マニュアルがあるサービスとして対価を受けてできる世話が存在します。その上に時間をかけて構築する個別の世話があるようです。身内の世話はこの2層構造が作りにくいことが問題となるのかもしれません。


同じ世話も保育士の場合は何か違うのでしょうか。他の世話と共通していることは相手に関心を持つことのようです。無限後退してしまいそうですが、相手に関心を持たないようにするという関心を持つこともあります。


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第一回「子どもの育ち哲学カフェ」ではありふれた言葉を矯めつ眇めつ眺める機会が得られることで、たくさんのことに気が付かされました。
「子どもの育ち哲学カフェ」は毎月第4土曜日に行います。2部構成とし半年後(12月)にまとめの哲学カフェを行います。

次回のテーマは

  第一部   あなたならどんな学校を作りますか?
  第二部   家族とはなにか?

です。

日時:7月25日(土) 13時開場 第一部 13:10-14:40 第二部 15:10-16:40
会場:尼崎市立すこやかプラザ   JR立花駅から南へ1分 フェスタ立花5階
参加費: いづれか一部のみ参加 1,500円  二部とも参加 2,000円
問合せ: cashewnut27@gmail.com 080-6144-7331 赤井までお気軽にどうぞ


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