園田哲学バー「どうせ自分なんて」
2020年1月10日(金)19-21時 園田東生涯学習プラザ
参加者12名 進行 岡本秀夫
【あまがさき哲学カフェ】では終わる直前に次回のテーマを決めます。このテーマは前回「愛とはなにか」が盛り上がり終了間際にバタバタっと、これでいいやと決めました。
この投げやりな物言いに真反対の意味合いが含まれていて多義的な使われ方をするものだということが明白になっていったようです。
「どうせ・・・」と言う言い方には自分で限界を発見している、または自分で線引きをしているようすが現れているようです。その限界や線引きが何に基づいているのでしょう。事実、または事実と思われることに基づいている場合、思い込みや想像に基づく場合など基づくものによってこの言葉のニュアンスは変わっていくようです。
次にこの線引きは何に使われているのでしょうか。ひとつは正当化でしょう。なにかができないのはこのせいだ。と言うようにできない理由を納得させることに使われるようです。
もう一つはこれとは真反対になにかができないのはどうしようもない、だから自分の思うようにやってみよう。と反発する踏み台のように使うこともあるようです。
参加者の中で「どうせ自分なんて」と言う言葉を使う人と使わない人が分かれていました。その使い方のひとつは、予防的に失敗に備え自分のプライドが傷つかないようにする、というものです。ところがこの使い方には副作用があって、長期間服用するとマイナス思考になってしまい改善する余地がないと思い込んでしまい自分を小さく縛ってしまうことになりそうです。逆に言えば現状維持に甘んじている人もこの言葉を使いそうです。
もう一つの使い方はわざと波風を立てるというものです。この言葉で引き起こされる相手の反応を見たり交渉の材料を吟味したりして、それらを反発の踏み台と同じようにばねにして失うものが何もない、ということの底力を発揮させようとするようです。
この言葉を使わない人によると、たとえば囲碁将棋など勝負事の世界では使わない。なぜなら自分が勝てそうにないと思うことは負けに直結するから、自分を低く見せるようなことはそもそもしない。ということのようです。
さて、「どうせあんたなんて」と言う場合もあります。親、上司、先輩など自分より立場が上の人から言われ続けた経験を持つ方は少なからずいるようです。
これは相手に境界を引いている言葉ですがなぜ、このような言葉が使われるのでしょう。単なる評価ではない中途半端な物言いであることに、相手を責めながらまだ確定ではない変化の可能性がある、と言うややこしいかかわり方をしているのだ、ということが浮かび上がってきます。
どうせこんなテーマでは参加者は少ない・・・と思っていたら12名もお集まりいただきました。これなど予防的な使い方なのかもしれません。
さて、次回は2020年2月7日(金)19-21時です。テーマは「正当化」です。
園田哲学バーはどなたでもご参加いただけます。予約不要。途中参加退場自由です。週末の夜に、ちょっと考え事をしてみましょう。
皆さまのご参加をお待ちしております。
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- 2020/01/11(土) 14:00:28|
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