第2回ソクラティックダイアログ 開催報告
日時:2019年9月29日(日)9:00-19:30
場所:尼崎市立西富松会館 集会場
参加者:10名
進行:赤井郁夫
テーマ:普通とはなにか「普通とはなにか」をテーマに1dayソクラティックダイアログ(以下1daySD) を行いました。
1daySDでは事前に参加者の方にテーマに関する事例を進行役に提出していただいています。当日はまず、呼ばれたい名前と各自の事例を披露してイントロダクションとしました。
◆セッション1
続いて早速、参加者が持ち寄ったテーマに関する事例の吟味が始まります。参加者は過去に哲学カフェやソクラティックダイアログを経験された方が大多数であるためか、対話がどんどん進んでいきます。参加者同士、積極的に気になった人の事例に質問を投げかけていきます。
面白いのは、必ずしも選ばれそうな事例に質問が集まるのではないことでしょうか。これはその事例が本当に「普通とはなにか」を考えるうえでふさわしいのか、と皆さんが考えているから起こる現象のようです。
やがて参加者の中から、「この事例は普通と言うより常識のことを言っている」とか「これは社会的規範の話ではないか」などと言う声が上がってきました。
この過程で進行役はせっせと皆さんが投げかけた言葉を模造紙にメモしていきます。これは先々、考えるヒントになるからです。
すぐ決まるかに思えた事例選びですが、やはり2時間を費やしてようやく決まりました。
休憩をはさんで事例の詳細の記述に入ります。
◆セッション2
事例の詳細を提供者の方に尋ねていきます。皆さん手慣れたものでどんどん気になることを訊ねていきます。最初はその勢いが余って何を話しているか混乱しているようでしたが、やがてだんだん事例の姿が浮かび上がってきます。
選んだ時とは様相の異なる詳細の事例が鮮やかに参加者の前に立ち上がってきます。複雑で微妙な感情の揺れまでもが掬い取られ、登場人物の姿がそれぞれの参加者の中に生まれていくようでした。事例の提供者からは積極的に情報を提供していただき、詳細を記述するうえで非常に助かりました。
ここで詳細を聞きだす側のポイントとなったと思われるのは、「良し悪しを問うているのではない」ことをそれぞれの参加者が繰り返し言っていたことです。これは事例提供者を安心させ、詳細を語ることへの抵抗感が軽減されたものと思います。
端的に事例はいつどのような機序で生まれてきたのか、丁寧にくみ取るこることで予定より時間はかかったものの、事例が参加者にとっての共通の事例に変貌していきました。
◆セッション3
短めになったお昼休みの後は、いよいよ問いを立てます。まず、事例の詳細から「主となる中核的な判断」と思われるところに線を引きます。今回は3か所選びました。一見、何気ない記述の裏を読むようになぜ、このような記述になっているのか、この記述の意味するところは何か、それがどのように問いを立て答えを導くうえで大事になりそうか、これらのことを皆さんがしっかりと考えながら選び取っていきました。
今回の1daySDの特徴は活発な意見の交換でした。今まで私の経験したソクラティックダイアログではしばしば参加者が黙り込み、進行役が発破をかける場面があったと記憶しているのですが、今回はそのような沈黙が少なかったように感じました。
◆セッション4
さて、「主となる中核的な判断」を選んだのちは「主たる問い」を探すための問いをどんどん立てていきます。重複や似たようなものとかは気にせずに一区切りつくところまで問いを出していきます。そののち、重複や似たようなものを整理して10個の問いに集約します。そこからどの問が「普通」を考えるうえでふさわしい問いか、意見の交換が続きます。
この問いでは「普通」のこの面が見えない、「普通」のここを考えたいからあの問いがよい、などと皆さんがほかの参加者にアピールしながらやがて、2つの問いに絞られてきました。
・「普通と普通でないは変わり得るか」
・「普通の生き方とは何か」
これらの問いは全く違う内容を含むものです。議論が進む中でそれぞれ、「現在の普通の生き方と普通でない生き方は変わり得るか?」「現在の普通の生き方とは何か?」に変形させていきました。
今日、我々はどちらを考えたいか、どちらを考えることが我々にとって有意義であるか、が最終的な決め手になったようです。立てられた問いは「現在の普通の生き方とはなにか」です。この問いが選ばれたのは、
・「現在」・・・普通とは普遍とは違うので時代や場所によって異なることもある。すると、現在と限定することでこの問いの範囲は自ずと今、なおかつ大きくとも日本、と言う限定ができる。
・「生き方」・・事例から導き出したワードでだれでも少しづつ違うのは当たり前ではあるが、見た目では極端に違うように見える。普通を考えるうえで面白い仕掛けだ。
と言う理由だと思います。
◆セッション5
さて、この問いに対する答えを今までの議論を振り返りながら、探していきます。ここで今までの議論で忘れられていた、あるいは気が付かれなかった事柄が何点か浮かび上がってきます。皆さんが今の今まで前提としていて吟味を忘れていた事柄がドッと現れた感じです。
例えば、「現在」と言う言い方は2019年現在の意味なのか、その時代その時代における今を意味するのか、または「大勢」と言うくくり方にそもそも反社会的勢力は包含されうるものか、「普遍」と普通の異同について、など答えを出すことそのものよりも時間をかけて検討していきます。
ここで問題となるのは時間です。今回は前回より実質的に2時間近く長いのですが、気が付くと答えが出るかどうかギリギリかな、と言う時刻になっています。
皆さんが一緒になって答えを出していきます。たたき台となるような案が出されました。繰り返しこの案の趣旨、意味合い、含まれている事柄、含んでいない事柄などを吟味していきます。案を出した人も皆さんからの質問や意見を受けて考え続けていきます。やがて、この案から「あつれき」と言う言葉が抽出されていきました。
ここで今回の反省点を一つ。終盤の議論において、後から考えると同じ土俵に立っていないために議論がかみ合っていないことがありました。この場合、本来ならお互いの前提としている事柄を振り返ってもらえばよかったのですが、私自身がこのことに気づきませんでした。実際には私が一方の論を支持する意見のように、説得にかかったきらいがありました。時間がなかったことも影響していたと思います。終盤での議論における留意点として今後につなげたいと思います。
さて、10人が半日に渡って議論した結果、到達した最終的な答えは、
「現在の普通の生き方とは、大多数と思われる人の中で軋轢が生まれないような生き方をすること」
でした。この答えが得られるまでの長い過程を通じて、「大多数」と言う文言で受ける印象がひとによってかなりばらついていること、「軋轢」と言う言葉が「迷惑」よりも具体的で分かり易いことにも気が付きました。
ある意味、このような単純な答えにたどり着くまで10人の大人が半日かかっていることに不思議なような、当たり前のような気持になりました。今日がなかったら私を含めて参加者の誰もが考え付かなかった答えであることは、間違いないことと思います。
◆ふり返り
ふり返りの時、初めに披露しあった事例に戻って考えてみました。普通とはどういうことなのか、自分が出した事例に今日の答えがどのようにあてはまる、しっくりくる、あるいは響きあうか、を味わいながら第2回1dayソクラティックダイアログを終了しました。
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10時間半の長時間のセッションにご参加いただき、皆さまありがとうございました。
ソクラティックダイアログの楽しさ、面白さを多くの人に感じていただきたいと思い、年数回、1daySDを行っていきます。機会があればどうぞ皆さま、ご参加ください。
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- 2019/10/01(火) 16:03:27|
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