0190630SD 開催報告小雨模様の中、十二名にお集まりいただき「一日ソクラティックダイアログ」(以下SDと記す)を開催しました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
◆参加者について
今回のSD参加者の方々は全員、哲学カフェへの参加経験をお持ちでした。少ない方でも数十回、多い方では軽く百回を超えて「哲学的対話」に参加されています。また、哲学カフェの進行役を経験されている方が少なくとも四名、SDのご経験が二回おありの方も一名いらっしゃいました。
このことは今回のSD進行上に大きな影響があったと考えます。
◆事前準備
ソクラティックダイアログは時間のかかり二日、三日間かけて行うことが多いようです。今回は一日で行うため、特にセッションの冒頭部にある部分をメールのやり取りなどで事前に行うこととしました。
事前準備
1)SDに関する説明
事前に資料を配布し、進め方やタイムスケジュールの他、SDの仕組み(どのようなことが起こるか)などをお知らせした。
2)テーマ設定 あらかじめテーマ「やさしさとはなにか」を設定した。
3)例をあげる メールなどでテーマに関する例を事前に集めて模造紙に書き出した。
例を提出する時点である程度、詳細を考えていただいていたことが当日の活発な意見交換につながったように思います。
◆1.例を選ぶ
予め提出していただいた十三例のうち、「やさしさとはなにか」を考えるうえでふさわしいと思われる例を一つ選びました。
選ばれた例
東北出身の私は関西出身のAさんに次のように話したことがある。「関西の人は優しい、というか馴れ馴れしい感じがする。温かみはある。」関東の人は「たとえ転んだ人がいても駆け寄って大丈夫ですか?などとは聞かない。その人が恥ずかしい思いをしないように知らんぷりをする。冷たいんじゃないんです。それが優しさです。」と。
話し合いが始まると、自然に皆さんのご発言が増えていきました。その様子は静かなのですが途切れなく続いていきます。私の経験では発言を促すことが最も少ないSDだったように思います。
◆2.例の詳細を書く
選ばれた例の詳細な内容を例の提出者に聞きます。個人的に経験された例を参加者全員ものもとするため、根掘り葉掘り聞きだしました。
例の詳細
宮城県出身で浦和に住んでいたことのある私と 秋田県出身で東京に住んでいたことのあるBさん、関西出身で快適に過ごしていたが、関東で働きだすAさんの三人で話した時、三人とも共通して
①関東の人は冷たくてドライで、関西の人は暖かくて優しい事が社会的に前提になっていると私は思っているが、Aさんは「関東の人は冷たい、やっていけるだろうか?」と言った。
私とBさんは「確かに関東の人が関西に来たときは精神的につらくならないでやっていけるが、逆はきついらしい。」「しかし、関東の人は冷たいのではなくて関東なりのやさしさがあると、ある時気が付いた。以前、駅で転んだことがあり誰にも声を掛けられなかった。そのことを何も思わず忘れていた。ある時何かの折にそれを思い出し、それが優しさだと思った。」「
②関わらないことでその人が恥ずかしいと思わないように、気づかれないフリをしてあげるというやさしさです。」Bさんも「まったくその通りだ。」と同意した。
③Aさんは、無反応だった。◆3.中核的判断を探す
まず、「やさしさとはなにか」を考えるためにポイントとなるところを探すため、例の詳細に重要だと思われる場所に下線を引きました。(上記①~③)ここに線が引かれるまで、他の場所や長さの違う線がたくさん引かれましたが、最終的にこの3か所に決着しました。
線引きの際に議論になったのは「社会的前提」「恥ずかしい」「無反応」などです。社会的前提とはなにか?常識とか文化や環境、歴史、民族、家族など、社会の範囲の大きさについていくつも言いかえをしながら社会的前提を掘り広げていきます。このことが最終的な答えのコミュニティーと言う言葉につながっていきます。
興味深かったのはAさんの「無反応」でした。やさしさとは実感が伴わないと納得できないもの、やさしさは感じる側により大きく依拠している、という意見が浮かび上がり次の中核的判断を「問い」の形にして拾い出すことにつながっていきました。
次に中核的判断を「問い」の形で列挙しました。
1. やさしさは実感できないとやさしさとは呼べないのか?
2. あたたかさ、冷たさはやさしさに関係あるのか?
3. やさしさは他人の同意がいるのか?
4. 恥ずかしいという感覚はやさしさとどう関係するのか?
5. やさしさはフリだけでもやさしい、となるのか?
6. やさしさは相手に伝わらないとやさしさになり得ないのか?
7. やさしさは主体の気持ちだけでは成立しないのか?
8. 転んだことが恥ずかしいと感じるのはなぜか?
9. やさしさはいいことだけなのか?いやなこともあるのではないか?
10. やさしさは善意であり、悪意でもあるのか?
11. やさしさに地域差はあるのか?
12. 相手を傷つけないことはやさしさなのか?
13. 相手の気持ちを尊重することはやさしさですか?
14. 社会的前提はやさしさに関係しているのか?
15. やさしさとの自己満足か?
16. やさしさは誰のためのものか?
十六個の問いが列挙されました。似たもの同士、関連しているものを整理して次の七つに絞り込みました。
4.恥ずかしいという感覚はやさしさとどう関係するのか?
5.やさしさはフリだけでもやさしい、となるのか?
6.やさしさは相手に伝わらないとやさしさになり得ないのか?
8.転んだことが恥ずかしいと感じるのはなぜか?
9.やさしさはいいことだけなのか?いやなこともあるのではないか?
11.やさしさに地域差はあるのか?
14.社会的前提はやさしさに関係しているのか?
最終的に6.やさしさは相手に伝わらないとやさしさになり得ないのか? を選びました。
なお、SDでは選ぶ際や先に進む際には全員が合意します。このため、こだわりのあるところは徹底的に話し合う姿勢を維持することはとても大切です。
今回は、やさしさとは行為なのか、表面的に表れているものなのか、最後まで話し合われましたがその発端の議論がこの中核的判断を「問い」の形で表す過程で生まれ、次の答えの探求で繰り返し問われていきました。
4.答えの探求
「やさしさは相手に伝わらないとやさしさになり得ないのか?」 の問いの答えを考えます。
この段階では、今まで議論してきたさまざまなことがらを背景に、譲れない線を探るように同じ話題が繰り返し議論されます。
議論は多岐に渡りましたが、注目すべき議論の一つがやさしさは何か「ほんとうの、真心の、善意の」と表現される何か源泉のようなものから出てくるものなのか、端的に「やさしい」ということがあるだけなのか、という議論でした。
議論の中心にいる人たちの周りに自然にその議論の行方を見守る輪ができていきます。一方が劣勢になってもそのまま消え去るのではなく、もう一度検討を加えるように周りから促されるような、励ましあいが続きます。
議論の中から答えの試案を模造紙に書き出していきます。SDではこのように書き出すことをします。これは参加者の方々を支援する役割を持っています。発言を容易に振り替えることができるようにします。議論はあちこち飛ぶものですが、戻ることができるようにしています。
(下記は模造紙に書き出した答えの試案です。一部分かり易いように文言を整えています)
・第三者が見てやさしさが現れる。
・他社承認は不要・・・ありがた迷惑が生じる。
・やさしさは存在そのもの
・伝わらないやさしさは、やさしくなくはないがやさしくないので、伝える技術は大事
・偽善的やさしさは成り立たない。
・やさしさの形 すぐ伝わるやさしさ/伝わらないやさしさ
・やさしさは状況に添うものだが、難しいもの
・善意が沸いてきても相手が受け取れないとやさしさにならない。
・善意のバトンを渡す。善行をやったときの気持ち
・立場(職業など)による。やさしさはお金と同じ。
・心の問題か、振る舞いなどテクニックの問題か?
・誰かのためは、やさしくない。
・受け取り方、対応の仕方の問題
・相手の為の役に立つ行為であるか?
・瞬間的にはやさしい、となる行為がある。良い、悪いは別。
・相手にとっていいことである必要はない。・・・思いやりは必要
・本当のやさしい事は真心から出てちゃんと伝わることが必要
以上のような答えの試案が次々と登場してくる中、徐々に「やさしさとは○○である。」という最終的な答えの形が見え隠れしてきます。
・親子間と他人間のやさしさは違う
・政治家のやさしさとは何か?
・伝えることは美徳、しかしやさしい行いは陰徳である。
・「伝える」ことは間違いを修正してもらえる/注意サインを出してもらえる。
・瞬間的に助ける(行動する)はよいか?
・やさしさには、何らかの「いい事」という価値観が必要。
ここまで議論が進んだ時、「やさしさとは○○である。」に大きく近づきました。ここからはテーマである「やさしさとはなにか」の答えを探る作業になっていきます。少し煩雑ですが、答えが決まっていく過程を再現してみます。
一つの試案に付け加えたり変更したり、全体を作り直したりしながら「答え」を仕上げていきます。
・やさしさには、何らかの「いい事」という価値観が必要。
⇓ ・やさしさには、発信する側に、社会的前提となっている何らかの「いい事」という価値観が必要。
⇓ ・やさしさには、その人が思うコミュニティーに支えられた何らかの「いい事」という価値観が必要。
⇓ ・やさしさとはその人が思うコミュニティーに支えられた「いい事」を受信/発信する側が共有できること。
これが一つ目の答えでした。まだ不十分であろう、と議論が続きます。次は、<ゆだねる>をキーワードにして答えを探ります。途中の経過は省きますが、二つ目の答えは
・やさしさとは伝える側が、受け取る側が自分の責任であると、ゆだねること。
となりました。ここで16時50分となり、会場の都合で移動しなくてはいけないタイミングと重なり、少し性急にまとめました。
次に会場を喫茶店に移し、ひとしきり飲み物やケーキやアイスクリームを頼んだ後、三つ目の答えを探してみることにしました。午後からずっと続いてきた議論についての答えが必要だったからです。上の二つと同様、いくつもの答えの試案が出てくる中で、<寛容><心地よさ>がキーワードとなって浮かんできました。
上の二つの答えがやさしさと行動を結びつけていたのに対し、やさしさそのものについての答えのようになりました。
・やさしさとは、寛容であり心地よさである。
正味9時間半のソクラティックダイアログは参加者の皆さんのご健闘により、答えを見つけるところまでたどり着けました。短時間であり、また初めてのSDであったにもかかわらず、ここまでこれたことは驚きでありうれしくもありました。
ただ、いただいたアンケートなどからは参加者の皆さまも時間を気にされていた様子が伝わってきました。発言を抑え気味にされた方が複数いらっしゃるなど、参加者の皆さまのお気持ちに添えなかった点があったと反省しております。
哲学的対話を経験された方を中心にお集まりいただいたことを含め、今回はSDを体験していただくことを大きな目標にしていました。次回は反省点も踏まえて改良を試みていきます。
~ 一日ソクラティックダイアログ ~
主催:一般社団法人 office ひと房の葡萄 哲学的対話事業部 【あまがさき哲学カフェ】
進行:赤井 郁夫
日時;2019年6月30日(日)9:00 ― 18:30
会場:尼崎市立西富松会館 ⇒ 喫茶ぷろぽ
参加費:4,000円(軽食、喫茶付)
テーマ: 「やさしさとはなにか」
参加者:12名(全員哲学カフェ経験者、内哲学カフェ進行役経験者4名 内SD経験者1名)
テーマに対する答え:
「やさしさとは
・ その人が思うコミュニティーに支えられた「いい事」を受信/発信する側が共有できること。
・ 伝える側が、受け取る側が自分の責任であると、ゆだねること。
・ 寛容であり心地よさである。
次回の予定:
2019年9月29日(日)9:00-19:00 尼崎市立西富松会館
以 上
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- 2019/07/03(水) 10:16:20|
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