以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

0180416哲学カフェ@武庫公民館「きれいごと」開催報告

【あまがさき哲学カフェ】

哲学カフェ@武庫公民館終了しました。12名にご参加いただきました。みなさまありがとうございました。

今日のテーマは「きれいごと」。発言が活発でした。行きつ戻りつしながら「きれいごと」をいくつもの側面を吟味できたと思います。

楽しいには楽しいこと、面白いには面白いこと、があるが、きれいは「きれいごと」となってしまうところに気が付いた方からのご発言から始まりました。

◆建て前
きれいごとは建て前である。体面を整えるばかりで見せかけだ。しかし建て前ならば本音と対になっていて使い分けることができるのに、きれいごとには「対」がなくて使い分けられない。

建て前を言う時はほかの人から悪く言われたくなくて、ただ一生懸命に「正しいこと」や規則に則っていることばかりを言う。すると私には悪気などないのに「きれいごとを言う」と言われる。
そのような時は自分がないのでしょうね。嫌われたくないと一生懸命になっている。

◆感情
きれいごととは、嫌いな人や知らない人の言うことを聞きたくないと言う感情なのではないでしょか? 同じ事を聞いてもきれいごとにしてしまい、聞かないと言うことではないでしょうか。

「怒りたて」「困りたて」の人は腹を立てて怒る事をしたいので、怒りやすい、非難しやすいように、「きれいごと」を作る。そうして自分の感情を解放しているのかもしれません。

本当は、相手の意見が正論とわかっていて、しかし認めたくない時にそれをはぐらかすために相手の意見をきれいごとだと、言う。あるいは、相手の言うことが半分は当たっている、と感じた時に相手に対する嫉妬心から「そんなきれいごと言うな」というのではないか。


◆当事者
きれいごとは、当事者ではない人が当事者の事情を単純化、理想化していることを、当事者からみると、「きれいごと」に見えるということではないか。外部から単純化理想化されることに対する反発なのではないか。

当事者の何事かに善悪などの別の価値を第三者が加えてしまうことが「きれいごとを言う」ということではないか。

患者と医者の関係で、患者側が医者の説明に対して「きれいごと」だな、と感じることがあるようです。客観的なデータに基づいた診断や説明であってもそれが患者の苦しさや痛さやもどかしさには届くものではないことはよく起こるようです。すると、患者は「きれいごとを言っている」と思う。当事者から相手には伝わらない「体験」があり、そもそも相手がいることがあって、その相手を却下したくなる、特別扱いされたくない、というような感情が動くからではないでしょうか。

しかし、その逆に医者は真剣に本気で診断をし、説明をしている。つまりきれいごとではないのでしょう。

◆きれいごとを言う人、きれいごとになると言うこと
一般的な言葉(一般語)で一般的な意見を言う人の言うことはすぐ、「きれいごと」になる。個人語(オリジナルな意見)を語る人の言葉はきれいごとにはなりにくいのではないでしょうか。
達成不可能なことがあり何かを犠牲にしないとできないばあい、「きれいごとばっかり」と言っていると、その言葉に束縛されたようになると思います。

◆きれいごとをなくす?
ポリティカルコレクトネスなどで問題になることにはきれいごとを言っていると思われることが多い。例えば「表現の自由」はきれいごとではないでしょうか。

しかし、表現の自由が実現できればきれいごとではないのではないか。最後まで話が聞ければ、きれいごとのように聞こえていてもその話には根拠があるハズだし、勝手にきれいごとと断定しているだけかもしれない、と分かることもあるのではないでしょうか。

相手の発言をきれいごと、と言い切ってしまうのは何度聞いても理解できないためにもう聞きたくない、と思った時ではないか。意図が通じないと聞く側が思考停止に陥って、それ以上聞くことは「無駄であり、もう飽きた、どうせわからない」と認定しているのではないか。

患者の訴えに対する医療の齟齬は、将来、A.I.によって診断ができれば起きないのだろうか。A.I.の診断にはきれいごとは含まれないだろうか。
患者は自分に沿った答えが欲しい。医療とは治療なのかサービスとしての思いやりなのだろうか。患者は権威ある医者から事をおおげさに言われて、それで満足することがあるとすると医者は何を忖度しているのだろうか。医者は相談相手なのだろうか。

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今回のテーマは思っていたよりも掘れるテーマだったようです。きれいごととは感情ではないか、と切り込んでいただいたおかげで皆様のご発言に弾みがついたように感じました。

きれいごとこそ、突っ込んで考えていく突破口なのだと感じさせるご意見が出てきました。きれいごとだと切って捨てていることは裏返せばまだ考え切ってはいない、という事のようです。まだ手付かずのところを掘り返していくことの可能性があることの確かさを感じさせてもらいました。

次回は5月20日(日)14時~16時 テーマは「世間」です。

哲学カフェ@武庫公民館は、どなたでもご参加いただけます。
会場:尼崎市立武庫公民館。
予約不要。途中参加退場自由。
参加費:300円。

皆様のお越しをお待ちしています。
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  1. 2018/04/16(月) 23:05:36|
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