第二十五回 園田哲学バー 「辞書」
日時:平成29年5月5日(金)19時~21時 場所:園田地区会館
参加:10名(初参加1名)
連休の金曜日、10名にお集まりいただきました。みなさまありがとうございました。初参加1名を迎え、楽しい時間を過ごしました。
「辞書」は便利なものではあります。わからない言葉を調べ意味を知る、言葉の使い方を確かめる、漢字を調べるなどの使い方の他、言い替えるための類語を調べる、コンパクトな表現や凝った表現を見つけることなどにも使います。
辞書が一般に普及したのは比較的最近のことでしょう。戦後と言っても過言ではないかもしれません。辞書に書いてあることが正しいとなぜ信じられるのでしょうか。そもそも辞書には何が書いてあるのでしょうか。
哲学カフェは「辞書や本に書いてあることを披露する場ではない」とよく言われますが、なぜでしょうか。
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◆辞書には何が書いてあるか
・辞書が好きな人がいて、引くのが楽しみだと言う人がいます。
・辞書は必要なものです。議論にはとりあえず定義が必要なのでその時にも便利です。
・辞書に書いてあることは一方通行です。
・類語辞典、感情語辞典のように、一つの定義を決めているものではない辞書もあります。
・例えば「ウワ~」と言うのは辞書に載っていませんが、自分が使う時には特定の意味を担っています。辞書に載らない基準とはなんでしょうか。
・辞書の中には用例から載っているものがあります。後の方に説明が載っていますが用例から考えろ、と言われているようです。
・類語辞典は、同じような言葉を紹介する辞書で、定義が載っているのではありません。
・方言、俗語事典というものもあります。
◆名前を付ける
・誰かが勝手に現象に名付け、説明されるのはいやらしいと思います。科学的な研究などはこのようにして進んでいくのではありますが。
・権威と言うものがあると自由な発話がさまたげられます。辞書ができた16世紀ごろ、ヨーロッパでは、牧師さんが話をするのに非常に面倒になったという話があるそうです。これは辞書が権威を得たために自由な言葉の使い方が制限されたと言うことでしょう。
・辞書は本来、私的な定義であって、公的になるのはなぜでしょう。
・我々は言語を使いますが個人的言語は存在しないので、言葉を使うことですでに共通の理解の上に立っているという事だと思います。
◆言葉の変遷
・例えば「敷居が高い」と言う言葉は本来、不義理をしていて行きにくいという意味で使われていたが、現在では高級飲食店などに費用が掛かるから行けない、と言う意味でも使われています。
・言葉の意味が変わるのは普通です。誰が使うのかによっても意味は変わります。すると、辞書は何を載せていることになるのでしょうか。
・辞書には3つのことが書いてあると思います。
①禁止、こういう言葉の使い方をしてはいけない。
②便利、この場合にこの言葉を使うと、的確に伝わる。
③未定義、まだこの言葉は定義されていない。
・言葉の定義や意味が移り変わるのは分かりますが、一方で数学などの定義が百年ぐらいで変わると困ると思います。
◆議論と辞書
・議論が深まるためには、共通理解として合意を出発点としないと、混乱や誤解、すり替えやかみ合わないとか、互いにわからなくなるなどの危険があると思います。
・厳密な正しい一つの定義があり得る、少なくともその可能性はあると思います。説明はできる。
・厳密な合意と言いますが、実はみんなが合意すると誰かがみなす、と言うことではないでしょうか。
・言葉の意味を問い詰めると分らなくなることがあると思います。例えば、「かわいい」、「おいしい」を問い詰めると、もう無理、となったり、逆にもっとちゃんと言ってとなったりして合意に至ることが困難だと思います。
・議論をかみ合せる方が不自然だと思います。かみ合うことは大事でしょうか?
・価値観が一緒でも、かみ合わないこともあるし、かみ合わないことがわかることが大事だという事もあると思います。
・話がかみ合えば、信頼感が深まると思います。
・話がかみ合えば、議論していることが同じ方向づけで進むと思います。
・話し合っている当人同士がかみ合っているかという事の他、当人同士を周りから見ていてかみ合っているか、ずれていると分ることもあると思います。
・何事かの共通理解を出発点としていなくても、話がかみ合うことはあるでしょう。
◆辞書は定義しているのか
・合意をしないための定義もあるのではないでしょうか。
・定義することが自由な意見を妨げることがあると思います。じぶんがそのことで強制されないことが大事だと思います。
・例えば憲法9条の解釈の議論では「交戦権」についての定義が共通でないと議論ができないと思います。これは、いわば後出しじゃんけんをさせないための定義だと思います。
・発想を豊かにするために辞書は使わない方がいいと思います。
・サッカーのJ2リーグの九州にあるクラブの応援団が横断幕を作り、そこで「くらす」と言う方言を使ったところ、物議をかもしたことがあります。これは、同じ方言でも福岡、北九州、長崎でニュアンスが異なることが原因でした。言葉の定義が曖昧であることに気が付かずに問題になったようです。
・ワクワクさせる辞書もあると思います。言葉やモノの機能、多様性に気づくきっかけとなります。
・辞書とはわかることしかわかならい。分からないことはやはりわからない。と言うものでしょうか。
・辞書には定義が載っているのではないのではないでしょうか。
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たくさんのご発言が相次ぎ、板書が間に合わなかったり意味がちゃんと取れなかったり忙しい2時間でした。
辞書の権威とはどこから来るのでしょう。映画「舟を編む」では辞書編纂の模様が描かれていますが、膨大な時間と労力をつぎ込んだこと、この事実が辞書の権威の裏付けになっているようにも思います。
次回の園田哲学バーは6月2日(金)19時~21時、テーマは「かみ合う、かみ合わない」です。
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