平成24年3月31日千里中央駅のすぐ近くにある千里文化センターで行われた哲学カフェ@コラボ「ユートピア・理想郷・理想社会とはどのようなところだろうか」に参加しました。
参加者は30名を超えていました。切り口をたくさん持っているテーマなのでどうなるのか、とは思いましたが、
カフェの様子は、ファシリテータ(進行役)によってずいぶん変わってくるものだと思います。大人数でのカフェがどのように進むのか、テーマもさることながら、興味を持って観察したところです。
会場の設営も気になりました。かなり広い空間の真ん中にテーブル9台を丸く配置するというのは、話しやすいのか話しにくいのか。参加者全員の顔が見えるのはいいが、距離がありすぎるように感じました。ただ、しっかりした机(前に垂れ壁があり足が見えない)、座りやすい椅子は2時間のカフェには重要かもしれません。
始まってぼつぼつ意見が出始めたころ、一見もどかしいような進行が気になってきました。
大人数のため発言は参加者が挙手をし進行役が指定することで進んだが、進行役が一つ一つの発言を吟味するため発言がぶつぶつ途切れるように感じます。
このため、進行役が意見をまとめようとしているのではないか、と言うメタトークが入ったり滞留した発言があふれかけるような現象がありました。また、参加者の一人があらかじめ用意した資料を配布して発言を求める、と言う進行上スリルある場面もありました。
進行役は、「意見の差異を明確に」するため一つ一つの発言を吟味し、また「テーマに沿った意見であること」とともに、ともすれば重複しがちな発言を制限し、かつコンパクト・明快さを発言者に促す忙しい進行であったと思いました。ちょうど1時間たったとき進行役が、参加者に「ユートピアについて、今自分が重要と思う事柄をひとつ、考えて選んでください。」と指示しました。数分ののち、発言が再開されると話題が一旦集約されたことが感じられました。
進行役によって参加者に自分の意見をまとめるよう指示が出たのはあと1回、計2回ありました。今まで参加したカフェでは経験したことがなかったのですが、進行上のテクニックのひとつとして、流れを変えることができたと思います。
発言していない人への配慮は、難しいと感じました。進行役に促されて発言された方からの意見の中には、強く引き寄せられ、もっと聞きたいと思うことがありました。
比較的発言の多い人の割合は、人数に関係なく2割もいないように思います。話しにくい人に初めから発言を促すことはプレッシャーになるかもしれないと思いました。
進行役は、初めて発言する人をできるだけ見逃さない配慮が必要ですが、ここで円の形が障害になった様に思います。進行役が参加者の椅子の後ろに立っていることで、直近の左右が見えにくくなっていたようです。そこで遠慮がちに挙手する人を見すごしていたようです。
さて、テーマについてこのカフェで面白かったのは、世代別に意見がかなり食い違うように思えた点でした。
ユートピア、理想社会などと聞いて持つイメージが戦前戦中派、戦後派、高度成長時代派、バブル時代派などごとにくっきりと違います。
ユートピアと言う言葉に託す思いの強いと感じたのが、戦前戦中派でした。強烈な価値観の崩壊を経験した世代が、ユートピアを届かなくとも、向かうべき目標としてとらえていたのに対し、バブル世代ではその言葉に胡散臭さを嗅ぎ取り、拒絶する意見がありました。あるいはユートピアと言う概念が現実の不条理さや矛盾を暴く一種の装置として働くという意見がありました。
私は、高度成長時代に属するのでしょうが、ユートピアは、どこにもない場所であり到達不可能な、しかし密かに郷愁を抱くような場所としてイメージしているようです。理想社会などを”目指す”ことに全幅の信頼感を持てない世代のようです。
多くの参加者のいたカフェも終わってみるとカフェの面白さを十分に味わえ、いつもの余韻にわくわくさせられながら帰途に就くことができました。
実は、カフェの楽しみはもう一つあります。2次会に誘っていただき、初めてお会いする方々と話をさせていただくのは、これはまた興味の尽きないことです。また、ぜひ出かけようと思います。そして今年は何とか自分でファシリテーターを務めてみたいと思っています。
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- 2012/04/07(土) 20:50:29|
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