第二十一回:「あなたの発言は誰のもの?」 進行役 赤井 郁夫
日時:2014(H26)年9月21日(日)14:00-16:00 参加者:12名(男10名、女2名)
◆発言と所有
・発言はもののように所有できるのでしょうか?
・そもそも発言すると言うことは、相手に伝えたいことためなので自分のものなら言う必要がないですね。
・聞いて欲しい、と思って発言しているので相手にはギフトとして受け取ってもらいたいと思っています。
・発言の内容については責任が残るように思います。発言は背景になっているものがあり、「自分の」発言になっています。
・詩人は詩が「天から降りてくる」と言います。そこには自分のものと言う考えはないように思います。
◆ 伝えるということ
・アナウンサーは発言しているが、それはアナウンサーの発言でしょうか。
・アナウンサーがニュースを読んでいるときは「伝えている」だけでプロデューサーの意向や、取材・編集などの影響があるのでニュースを作っている会社の発言だと思います。
・歌手も同じように作詞家が詩を書き作曲家が作曲したものを歌います。しかしその歌は歌手のものだと言われますね。
・アナウンサーの話し方が変わったのが久米宏からでした。アナウンサーは抑揚なくしゃべることで内容以外の情報を封じようとしているのですが、抑揚のないことのメッセージ性から逃れられないですね。
◆聞いた側の責任
・聞いた側が責任を持っているとも言えます。相手に問うことが出来る場面では「もっと聞きたい」とか「それはどう言う意味」と相手に聞くことで。
・ある人の発言を引用して、別の人に伝えることには許可が必要でしょうか? 無断で使うのはかまわないでしょうか?
・発言がだれに、どのように受け取られるか分からないので、責任が取れないから許可しないと思います。
・ しかし、聞く側の責任だから許可してもいいのではないでしょうか。
・「自分の発言ではないけれど」と断って言うのは敬意を持っているのでよいと思います。
・しかし、人の発言を咀嚼して話せばその人の発言ではないでしょうか。
・引用については学術論文ではフォーマットがあります。しかし話す場合はしゃべり方の工夫として、さも自分の体験のように話すこともあります。
◆責任
・発言することを強制させる力はない。だから発言には責任はあるといい得ると思います。
・発言の撤回とはどう言うことでしょうか、世に出されている発言、既に受け取った発言を撤回するとはどういうことでしょうか。
・報道に関する法では発言が不適当だった場合は名誉毀損で訴えることになります。しかし発言撤回の記事の扱いは小さいのが一般的ですね。
・STAP細胞問題で、自然科学の分野では論文の撤回が出来るのだと言うことを知りました。
・政治家の撤回=失言であって撤回しても失言はその政治家にずっと付いて回ります。
・撤回は出来ないがその一方で、「考えが変わった」とも言えるし、また訂正することはありえます。
・政治家や重要なポジションにいる人の発言には背景や圧力があります。それが、責任と繋がっているのだと思います。
◆それは発言か
・ツイッターやファイスブック、ブログなどでの書き込みは、発言でしょうか?
・その場合の発言(書き込み)=意見ではないでしょうか。
・例えばデモは、表現すると言う意味で発言と同じではないでしょうか。
・不特定多数に対して行うことを特に「発言」というのではないでしょうか。
・ヘイトスピーチも発言でしょう。発言にはその人の力量や品格が現れると思います。
・パソコン通信の掲示板があった頃、自分のために備忘録として書いていても誰に読まれているのか分からないと言うことを経験し、書き込みには気を使うようになりました。
◆自分の発言
・言葉は祖先から受け継いでいています。言葉と言うものはその人のオリジナルでしょうか?
・言葉の取捨選択のセンスはその人のオリジナルではないでしょうか。
・自分の発言を求める聞き手を想定することがあります。言葉の届く範囲がわかっていても自分から離れると特定・不特定に関わらず自分の思っている通りには伝わらないことがあります。
・発言は生ものです。しかし聞き手との間でタイムラグが生じたり、発言以外のものの情報量が多いので発言は独り歩きしています。ツイートやネットで無法状態となるのはこのような事情があると思います。
・対話では場に委ねることがあります。
・「責任」と言うことが増えて来た社会状況があって非常に敏感になっていますね。
・発言を発したら相手のもの、でもその批判が想定を越えるのは嫌です。
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「あなたの発言は誰のもの?」を終えて
発した言葉は取り返しがつかない。と教えられてきました。もの言えば唇寒し。とも教えられてきました。それは発言が自分のもののようで自分のものではないからでしょう。発言はそれが届いた人に感情や行動を起こさせる引き金のようなもの、相手の心の扉を開ける鍵なのです。
発言に責任を持つと言うことは、つまり相手の心を開いてしまったことに対して責任があると言うことでしょうか。
そうならば、心を閉ざしてしまった人の心を明けられるのはだれかの発言でしかないとも考えられるように思います。
次回は10月12日です。テーマは「月と人」・・・哲学カフェらしからぬテーマを選んでみました。場所はカフェ・トレピエです。
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- 2014/10/01(水) 22:41:26|
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