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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

0140410『朗読からはじまる』開催報告

朗読+哲学カフェの試み『朗読からはじまる』は京都市下鴨にある(WEスペース下鴨)にて行いました。


2014(H26)4月6日(日)土手沿いの桜は散りかけ。風が寒いのが残念でしたが6名の方にお集まりいただき、しっとりした時間を過ごせました。みなさまありがとうございました。

小川洋子作「百科事典少女」朗読:西村存子 
約30分の朗読に続いて、哲学カフェを行いました。
下記は私が取ったメモを元に備忘録的に綴ったものです。記録としては正確なものではありませんが、どのような話し合いであったか感じていただけたら幸いです。

また、朗読+哲学カフェについて、末尾に感想を掲載していますのであわせてご覧下さい。

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◆Rちゃんとお父さん
・「百科事典少女」というタイトルから、主人公はリケ女なのかと思いました。この世を知り尽くそうとした子供Rちゃん。百科事典はRちゃんにとっては世界を知る手がかりだったのでしょう。
・父親の切なさを感じました。「ずっと送ることができなかった」のではないかと思います。
・大切な人を亡くしてずっと夢に出てきていたのにあるときぷっつりと夢に出なくなってきた、というようなことがあります。それは納得して送る、ということのように思います。
・親より子が先になくなる逆縁、その悲しさの大きさは大変なものです。それを乗り越えるには普通ではないことが必要なのだと思います。
・紳士おじさんはRちゃんの死後アーケードにすぐには現れず、半年後にきたことの意味はなんでしょう。狂気じみた不幸を感じます。せっかく子供とゆかりのある場所へ来ていながらRちゃんの人となりを話さない紳士おじさんの気持ちはどういうものだったのでしょう。

◆悼むこと
・死を悼むことだけではなく悲しみの深さには、悲しんでいたい気持ちがあるのでしょう。亡くなった人と触れあっていたいと望んでいるのだと思います。
・Rちゃんと父親の生前のつながりはどうだったのでしょう。幼い娘がアーケードで本を読んでいるのことを知っていたのかしら。
・Rちゃんが亡くなって初めて知る娘に出会ったのではないでしょうか。
・紳士おじさんにとっては百科事典を読み遂げるのが、Rちゃんのやり残したことを引き継いであげることになる。百科事典を書き写したノートをプレゼントというか仏前に供えているような気がします。志を遂げる、遂げさせるということでしょうか。
・紳士おじさんが小さなものを買う。立体的に娘と向き合うことができているように思います。

◆Rちゃん再び
・Rちゃんは好奇心旺盛な子だと思います。また、嘘の話が嫌いなのではない。子供のころ百科辞典を読んだ時のわくわくした感じはいいものでした。
・百科事典もフィクションなのに他の小説より好奇心を掻き立てられるのはなぜでしょう。Rちゃんは死期を知っていたのでしょうか。それで世界を知りたくて百科事典を読もうとしたのでしょうか。
・小児がんの子供が天使のような優しさや純粋さを持っていると言われますが、死を知っていることが関係していると思います。
・百科事典では「し」で始まる言葉の量が一番多いのでしょうが、作品ではそれを「死」と掛けているのかなと思いました。

◆声を聞く
・ヨーロッパには朗読の習慣があってみんなが静かに「声」を聞くという習慣があります。
・Rちゃんが犬のべべに読み聞かせています。べべは講義を聴いているようにRちゃんの朗読を聞いていました。昔は授業や講義では当たり前のことでしたが、静かに人の話を聞くことが今の社会では成立しがたいと思いました。
・今は山川出版社の日本史の教科書を朗読したCDなどがあるようです。
・夫婦善哉の朗読もCDがあって方言が使われているのは味があります。
・本を買って本棚に並べる、それは世界を選ぶことに通じでいるようです。そのよろこびで分かち合いたいと思い、そのことが声を出して聞かせる事につながっているように思います。
・昔、朗読教室に通っていましたが声に興味がありました。同じ小説でも解釈が加わって随分異なるものです。朗読家の長岡輝子は訛を取り入れていました。

◆場所
・読書休憩所という場所はどういう場所でしょうか。父が幼子を守るための場所でしたが、やがてそれが紳士おじさんを見守る場所になっていきました。
・そこの世界が伝わる、声で作り出す世界には、その人の生き様が出てしまうようです。引きずって来た人生が現れます。

◆朗読と哲学カフェ
・哲学カフェとしては違和感があります。原作を前もって読んでイメージを作ってきたのですが、感性と理性との違いというか、哲学カフェと異なるものがあると思います。
・朗読の後で対話会があるということでメモをとっている方がいる。というのは緊張しました。朗読が説明になっているのではないか、心配でした。
・朗読には、声を聞かせたいという思いと物語を共有する楽しさがあると思います。

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朗読の持つ力は意外に強い、と思いました。
朗読を一緒に聞く、経験を共有するということの意味は大きくみんなでひとつの物語に触れている、あちこち撫で回しているような親密感がありました。シネマカフェでも同様の感覚はありますが、ぐっと深くなってくる感じです。

これは予想外でした。共感する度合いが高まっていたような気がしますが、シネマカフェで見る事の多いドキュメンタリー映画と小説の違いなのかもしれません。また、アート+哲学カフェで感じたものとも違うものでした。

どのような作品が『朗読からはじまる』に向いているかはまだよくわかりませんが、朗読ができることが大切です。読み上げる事と朗読とは異なると思うからです。同じく本を素材として読書会がありますがそれとの違いを意識するとむしろ、朗読家の方がぜひ聞いてほしい、と思っておられる素材を「いただきます」というのがよいのではと思います。

始まったばかりの『朗読からはじまる』、次回も企画しますのでどうかよろしくお願い申し上げます。



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  1. 2014/04/10(木) 23:36:29|
  2. 2014
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