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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

0140206第2回シネマ+哲学カフェ 開催報告

シネマ+哲学カフェ2:「わたしを離さないで」       進行役 赤井 郁夫
日時:2014(H26)年2月1日(土)14:00-17:00 参加者:8名(男7名、女1名)


◆原作について 
・映画はラブロマンスとして描こうとしている面が強いようです。あるいはサスペンスとして見られているようです。原作者のカズオ・イシグロはサスペンスでもホラーでもないと言っています。
・原作者は、「この物語のメッセージは、皆が思うより人生は短いということ、その中で最も重要でやるべきことは何だろうか?」とインタビューで言っています。
・原作でも社会背景の設定が言及されていない点があります。例えばクローンによる臓器提供が社会にどの程度まで普及しているのかは不明です。映画では「人類の平均寿命が100歳を越えた」と言うキャプションがあるので、世界中に相当普及していると理解できます。
・時代設定が1990年代半ばと言うのは、技術的にクローンが可能になった時代だと思います。

◆再生医療
・クローンが可能になったことで再生医療がぐっと現実味を帯びてきました。その体細胞から個体が発生させられた、というクローン細胞から、ES細胞、iPS細胞、そしてSTAP細胞と、次々と再生医療につながる発明や発見がなされています。
・その結果、どんどん倫理的なハードルが下がってきました。iPS細胞で山中教授がノーベル賞を受賞したのも、再生医療において倫理的な問題を回避しつつ、安全な医療に結び付く点が評価されました。
・映画では臓器提供を受ける人がほとんど描かれていません。臓器提供を受けて生きながらえる人はどう感じるのでしょう。
・今の私たちも医学の進歩によって病が癒えることを当たり前のように受け取っています。ですからオリジナルは当然のように臓器の提供を受け、100歳を超えて生きていくのでしょう。
・第1回の「いのちの食べかた」の時に話しましたが、牛の筋肉細胞をタンクで培養してそれを「肉」として食べることの方が、牛の命を奪うより倫理的であるというのには抵抗があります。大事な問題から目を逸らせているだけのように思います。
・クローンは人間として育てられていません。ブロイラー式に管理されているので、そこから逃れる発想もないし、実際に逃げても生き残れないでしょう。自分で何も決定できないのがクローンです。

◆生きることの…
・クローンは生きてはいないのだと思います。この物語を通して作者は、自分の意志で殻を破って生きる。悪あがきでもなんでもして、自分で考えて考え抜いて生きることが生きるということだと言っていると思います。
・今、私たちもクローンが置かれている立場とあまり変わらないかもしれません。与えられた目に見えない枠にはめられていて、外の世界を想像することすらできていないのかもしれません。ならばクローンは生きていなくて私たちが生きているとは単純には言えないと思います。
・主人公の二人が互いに求め合える人として出会えたことは幸せなことだと思います。クローンであるかどうかより大事なことだと思います。
・運命が決まっていることが生きることの意味を与えていると思います。特攻隊や赤紙で招集された兵隊は有無もなく、戦場へ出向き、死を受け入れました。その時は国を守るとか親しい人を守るためだとか大義名分が生きることに意味を与えていたと思います
・生きることの意味は自分の中にはないのだと思います。他の人がいて初めて存在するのではないでしょうか。
・むしろ、生きることの意味を与えられずに探し回る方が大変で苦しいのではないでしょうか。
・クローンがオリジナルに会いに行く設定は何を意味しているのでしょう。自分の命を差し出す相手がふさわしい相手であることを確認したいのでしょうか。
・脳だけは移植できません。臓器を抜かれて自分が自分でなくなる…認知症の怖さに通じるものを感じます。

◆血縁
・クローンを作る技術よりも不妊に悩む人たちを応援したい。自分の子供を持ちたいというもっともな願いに答えられていないのが現在の医療です。
・不妊の治療では体外受精から卵子・精子提供、代理母と医療は発展してきました。
・今の日本は、血縁に対して異常なほどの執着があるように思います。江戸時代など養子縁組は当たり前で社会的な解決方法としてちゃんとありました。
・特別養子縁組の仕組みでは子供が10歳ぐらいのものごころ着くまでに生みの親のことを告知することが求められています。
・クローンは遺伝子的には双子と一緒でしょう。映画では早く生まれた方がオリジナルで遅く生まれた方がそのオリジナルの生を支えるドナーとなるわけですが、臓器移植は逆でも可能ですね。
・親子で同時に事故に会い、親がもう生き延びられないが、子は臓器の提供を受ければ生き延びられるのなら親は喜んで提供するでしょう。双子なら余計にオリジナルかクローンかではなく、どちらか一方に生き延びてほしいと思うのではないでしょうか。

◆社会
・映画でははっきりしませんが原作では学校の先生は、「クローンも人間として扱われるべきだ」という社会運動を起こしました。クローンたちが作った作品を収集するという活動を通してクローンの人間性を社会にアピールしようとしたようです。
・奴隷や黒人が人間として扱われなかった時代や差別が当たり前だった時代には、彼らは人間ではありませんでした。彼らを解放しようという社会運動は存在していたが彼らも人間であるという立場に立つことはまれだったのでしょう。そのような社会運動は失敗していきました。
・アール・ブリュット (※「生の芸術」、「美術の専門的な教育を受けていない人が、伝統や流行などに左右されずに自身の内側から湧きあがる衝動のまま表現した芸術」赤井記) の展示では作成の現場を離れて展示を行うことの無意味さを教えてくれます。先生たちの活動も作品の展示のみでは社会を動かすまでには、至らなかったのでしょう。
・この映画は格差社会を描いています。明らかに下層階級としてクローンが描かれ下層の階級の人たちの重苦しさ、やり場のない憤りが描かれていると思いました。

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沢山の切り口からお話しいただき、なかなか尽きないようでした。シネマカフェでは一人で見ると重苦しい気分で終わってしまうかもしれない映像を参加者の皆様と読み解き、気付くことで今一歩、奥深いところへ歩を進めることができるのだと思います。
次回のシネマ+哲学カフェは3月1日(土)14:00から想田和弘監督作品「精神」を鑑賞します。
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