Life And Death In Shanghai 1986 Nien Cheng Grafton Books
特に目指してこの本を選んだのではなく、図書館の限られたペーパーバックの中で自伝なるものを選んでみた。
文化大革命が始まった時、毛語録の翻訳本(赤い表紙に金文字で毛沢東語録と書いてあった)を手に入れた友人が読みふけりそれをなんとなく恐いものを見るように遠巻きにしていたことを思い出す。
社会主義が輝き、資本主義がやがて追い込まれることを当然のように感じ、左翼的なものにほんのりあこがれていた。しかし所詮は中学生。権力に反発することが正義の現れだと信じ込んだだけではあった。どうやらこんな些細とも思えることであっても人格の形成に影響を受けやすい時期に受けた影響は意外にしぶとく、残るようだ。
社会人となり、文化大革命が失敗であり多くの犠牲者が出たことなどが公然と報道されるようになった。しかし、関心を引かれることもなく、長い時間が過ぎた。
ただ頭の片隅に、文化大革命とは何だったのか、なぜ失敗したのか、ほんとうは何があったのか、中国だから起こったのか、大きな国と小さな日本とは違うのかなどの疑問が置き去りにされていた。
この本は、明快である。
独裁政治には必ず権力闘争が伴う。その権力闘争は民衆を利用して行われる。犠牲となるのは民衆であり、その苛酷さは戦争にも劣らない。作者の明晰な状況分析はそれを持って作者が耐え生き残る手立てとなり、読者にはいったい何があったのかを正確に教えてくれる。
独裁政治の権力闘争の道具に使われそうになった作者が賢明にもそして勇敢にも耐え抜いたことには驚嘆する。
知恵と運とが絡み合って作者をして生き残らせたことを神に感謝する以外にない。
独裁政治は抑圧するのも民衆、抑圧されるのも民衆と言う、本音では生きていけない社会を作り出す。法治から人治へ、汚職と利権の争奪の泥沼へ人々を引きずり込む。そうなれば抜け出すことのできない格差が支配する社会となっていく。
「裏口から入った社会」の居心地の良さは、表から入った人たちの居心地良さにはかなわないものの、入れない人との格差は大きい。人々は知恵を絞る。
それはしばしば近視眼的、自己中心的、輪廻から抜け出すことはおぼつかない知恵であることが大半である。しかしもっと知恵のある人であっても、大して変わらない。こういう社会では善意、正義、好意、情熱、知恵など価値を押しつぶしてしまう。
この本を読むべき人は今、主権在民、民主主義の恩恵を受けている人々である。独裁体制とは何か、その下で人々はどういう生活を強いられるのか、良心というものが顧みられない社会に生きることの苦しさなどを教えられる。
そして同時に、今、困難にあっている人たちには、その困難の先には必ず当たり前の人生を送れる社会の実現が待っていることをも伝えている。
この本は、私の生きてきた時代と重なる上、距離的に近さを感じる。その時、その場所、そこで起こったことを明瞭にイメージできるように思う。自伝の面白さを発見したように感じている。
以上
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- 2012/02/19(日) 17:00:18|
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