【夜カフェ】 2021/12/24 19〜21時 参加者5名 西富松会館
一杯飲みながらテーマを決めて話し合う。
哲学カフェのバーバージョンは人気があります。コロナ禍で会場の確保が難しいです。
それでもしばしばお休みしながら続けています。
私たちが運営する子どもの社会的居場所「ぐれいぷハウス」は普段は19時まで開いています。
毎週金曜日は18時からダンス教室を行なっています。その間は他のスタッフに子どもたちを任せます。
この時間を利用して【夜カフェ】を行なっています。
テーマは参加者の皆さんと決めます。とりあえず今日あった出来事を披露してもらい、雑談をしていると何となく今日皆さんで話してみたいテーマにたどり着きます。
今回は「スティグマ、あるいは烙印」でした。
ここだけの話、と言う話が続きます。
なので書きませんが、スティグマを背負った話や、スティグマを乗り越える話をしていきます。
普段、意識することのない社会の仕組みを感じる時、自分が社会の中でどこにいるのかが明白になる。
この経験は、自分で自分がこの社会においては何者であるかを嫌でも認識することのようです。
しかもその認識は二重になっている。まず「自分ではできないんだ」と自分で無力の烙印を押し、そこへ外部から「そう言うこと!」と念押しされます。すると言わば安定した、言い換えると硬直した自分の立ち位置が出来上がります。
その立ち位置から動こうとすることは、自分を変える事を伴うのでしょう。周りを押したり引いたりします。でも気がつく事は周りではなく、自分が変わる必要があるという事です。その自分の変容が助けられると良いと思います。しかし助けようとする側にも適切な関与の仕方があるようです。下手をすると上記のような「そう言うこと!」と言う念押しをしてしまうことにもなりそうです。
このように話していると、スティグマは社会の仕組みの立ち現れなのかと思います。スティグマは無くならないし、私たちの日々は意識していないスティグマだらけのなかにあるようです。
少しずつ社会が変わっていく。スティグマを乗り越えた人たちが新しい社会を作って行くようですが、所詮は新しいスティグマを作っているだけ、とも言えそうです。
社会の仕組みの立ち現れを自在にかわしたり利用するには知識が不可欠のように思います。この社会の本質の知識と共に現に支配している構造の知識はスティグマを乗り越えることには不可欠なのかもしれません。
子どもたちが身につけるべき力にも、これらは当然、不可欠なのでしょう。
いつものように、結論めいたものはありません。
でも、スティグマあるいは烙印、について他人と話すことは、おそらくこの場以外にはないと思います。
テーマもその場で決めることの面白さは、思いがけなくも考えてみたかったことにフッと近づける事かもしれません。
今年最後の哲学カフェは、26日日曜日 13〜17時 尼崎市立 すこやかプラザ にて「子どもの育ち哲学カフェ」です。
2部構成です。テーマは「繊細さと過敏」 参加費は2部とも参加の場合2,000円、一部のみ参加は1,500円です。
- 2021/12/26(日) 11:24:38|
- あまがさき哲学カフェ開催報告
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