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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

0200201【p4cたちばな】開催報告

2020年2月1日(日)10時半~12時
p4cたちばな 「学校について」 参加者3名

まず、自己紹介を兼ねて最近学校について思っていることを紹介しながらコミュニティーボールを作ります。今回は3周して大きなボールが出来上がりました。

学校についてと言っても、子どもの視線、教師の視線、学習支援塾の視線は関心が同じようなところにあっても見えているものが異なっているのが面白いです。

例えば、なぜ教師の一言が子どもの心に刺さり、それが原因と思われる不登校に代表される子どもの行動を引き起こすのか。子どもの視線からの問いかけは、その言葉が引き起こす出来事は当然起こるべく起こったもので、何も不思議はない、という共通の理解にたどり着きます。

先生はなぜ、そのような発言をするのか?先生は「私は尊敬されるべきである」とか、「教室運営ができている俺はえらい!」とか、学年末まであらゆる問題に目をつぶってなにも目立たなければ、「良し!」とか思っていることもあるようです。先生も凡百の内なんだなぁ、と言いたくなりますが、つまり、あまり考えていないと言うことのようです。

この考えていないということは、何事かを無反省に呑み込んである意味ごく自然に、当たり前に発話している事態を差しているようです。

子どもからの訴えに対し、先生からは紋切り型の言葉が返ってくる。この繰り返しでは子どもの訴えは受け取ってもらえない。
ある子が「不登校になってから、○○先生は優しくなった」と言うとき、その皮肉が子どもの存在を支えているように思いました。同時に先生もまた経験値を上げたんだろう、と思うものの子どもの負担の大きさに目をぐっと閉じたことを思い出しました。

授業と言うものはやったことのある人にしかわからない難しさ、大変さがあるようです。教師になりたての人はその困難さに立ち尽くすことがある一方、教師はすごいなあ、と言う感慨は教師自身がなってみて感じることなのかもしれません。

不思議なのはこのように真摯に取り組んでいる教師がなぜか、子どもに対して抑圧的になっていくことです。
授業のすばらしさとはどういうことなのでしょう。授業のなかに子どもはどのように存在し得るものなのでしょうか。教師の評価や教師間の関係性は授業にどんな影響があるのでしょうか。そもそも教室運営と授業は関係があるのでしょうか。

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【p4cたちばな】は毎月第1日曜日の10時半から12時までです。どなたでもご参加いただけます。対象は小学生から高校生まで大人の付き添いも可能です。

次回は3月1日(日)10時半~12時です。 対象は小学生~高校生です。 大人の付き添いも可能です。
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  1. 2020/02/02(日) 16:02:29|
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