氷見キネマ上映会+哲学カフェ
想田和弘監督作品「Peace」を見て哲学カフェをしよう!
私たちは大阪でパブリックエンゲージメントの活動をしている「PE班」のメンバーです。
昨年3月にここ、氷見キネマさんでアイスランド映画「馬々と人間たち」を観て哲学カフェを行いました。
今年は大阪から上映会用のブルーレイを携えて氷見を訪問します。
そして、昨年に続いて氷見キネマさんで上映会+哲学カフェを行います。
哲学カフェに参加するために特別な哲学の知識は要りません。映画を見て気が付いたこと、思い出した事、考えたことを語り合いましょう。
他の人の意見をきいていると、「あっ、そんな視線もありか!」とか「あのシーンはそういう風に解釈できるのか」とかちょっとビックリするようなことに出会えます。
一人で考えるのではなく、みんなの意見を参考にさせてもらう。もちろん、お互い様ですから、あなたの何気ない一言が他の人にとっては「目から鱗!」となるかもしれません。
今回見る作品は想田和弘監督の作品です。おじいさんが吸っている「PEACE」から何を見たのでしょうか。観察映画と言うジャンルを打ち立てた想田和弘監督の作品を見てみたい方、ぜひこの機会をお見逃しなく。
鑑賞のみの方も歓迎です。
多くの皆さんとお会いできることを楽しみにしております!
お待ちしております。
上映:想田和弘監督 「Peace」2010年 日本 75分
日時:平成28年7月17日(日) 13時~16時半 開場12:30
会場:氷見キネマ 住所:〒935-0015 富山県氷見市伊勢大町2丁目15-10 4階
参加費:上映会:2,000円 哲学カフェ:+500円
予約などは不要です。お問い合わせはPE班 080-6144-7331(赤井)まで。
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- 2016/06/20(月) 22:12:57|
- あまがさき哲学カフェの予定、案内
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第四十二回むこのそう哲学カフェ「世間知らず」終了しました。
雨の中、6名にお集まりいただきました。
「世間知らず」と言われたとき、言うときはどんな時でしょう。言う人、言われる人はどう思っているのでしょう。
世間を背負って意見を言うとき、最強の味方を得たように思うのはなぜでしょうか。
逆に世間を背負って意見されると、卑怯だと感じることもあるようです。
では、世間知らずとは何を指しているのでしょう。世間知らずではいけないと言う強い警告があるようです。
なぜ世間知らずはいけないのでしょう。
「放っておいて欲しい」と思うことがありますが、それでも世間を知っておくことで生きやすくなる、小器用に生きることの評価は別にしても、「生きづらい」と感じている中には世間知らずな私がいることもあるように思います。
世間を知る、ということは世間での立ち居振る舞いを熟知していることでもあって行動もまた、世間を知っているように行われることでしょう。世間との摩擦が減ることは生きにくさの解消に役に立つように思います。
自由に闊達に生きるということは世間を知らなくてはできないことなのかもしれません。
さて、今回は哲学カフェプラスを行いました。これは哲学カフェのアウトプットとして、今日の哲学カフェに関する詩を作ってもらいました。作詩の方法は3組のペアに別れて相互にインタビューしあい、相手のことを詩にしてもらいました。
ブログでの公表を承諾してくださった方々の詩をご紹介します。
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「世間知らず」 くだものさんの話を聞いて マジマジ
「世間知らず」という言葉は破壊力がある
私自身は、こんな破壊力がある言葉は使わない。でも「常識」とか「普通でしょう」とは言ってします。
他人との関係は壊したくない。何かを言って壊すくらいなら自分やってしまう。
そうすればきっこれまでどおり仲良くできる。その方がずっといい。
「世間知らず」 魚さんの話を聞いて お米
世間知らずと言うときはね
皆の代表で言いますよ
世間知らずと言うときは
知ってもらいたいからいいまずよ
ただ世間知らずが本当に現れたら
世間知らずとは言いません
その時までに
世間知らずに有効な言葉を
考えます
「世間知らず」 お米さんの話を聞いて 魚
ふだんこんな言葉、使ったことはない
本当に自分には縁のない言葉だから
人の意見をききに来てみた
「世間」は別に知らないままでいいと思うけど
他の人は「世間知らず」]と言われたあと
どんな感情を持って帰らされるのだろうと
は気になる
もし自分が「世間知らず」と言われたら
それからどうしたらいいんだろうか
変わればいいのか、直せばいいのか。
変わると世間知らずにならなくなるのか。
やっぱり自分は世間は、わかれないものだし、
無理にわかる必要のないもののように思えるけど
明日もし言われたら
はらたつなあ
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- 2016/06/19(日) 23:43:05|
- 哲学カフェプラス
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平成二十八年六月十一日 哲学カフェプラス@南武庫之荘 哲学カフェ@南武庫之荘 テーマ「説教」 参加者11名。無事終了しました。参加者の皆様、ありがとうございました。
さて、今日は「哲学カフェプラス」と名付けたワークショップを哲学カフェ終了後に行いました。
みんなで詩を作っていただき、今日の哲学カフェのアウトプットとしようと言うワークショップです。二人がペアになり、お互い、今日の哲学カフェのことをインタビューしあって「 相手の詩 」を作りました。
初めての試みでした。詩を作ってくださいと言う、私の無茶振りにも関わらず、熱心に詩作に取り組んでくださった皆様、ありがとうございました。十分な説明のないまま戸惑われたのではないかと思います。
哲学カフェは結論を求めません。しかしそれは、その哲学カフェが何であったかと言うこととは別の事でしょう。参加者一人一人にとって今日の哲学カフェが何であったか。それを自分で語るのではなく他人に語ってもらいます。どんなことに気が付くでしょう。
この詩作方法は大阪の應典院で上田暇奈代さんが主催されている「詩の学校」で学んだ方法です。
また、哲学カフェのアウトプットを行うことは、カフェフィロ代表の山本さんのアイデアに触発されたものです。
山本さんとお話したときには短歌を使おうと思ったのですが、詩の学校での詩作の面白さや取り組みやすさが向いていると思いました。詩作になれない方もいらっしゃいますので、「手紙を出す」イメージでもよいと思います。
表現することは、だれにとっても必要なことでありだれにとってもできることなのでしょう。詩の学校で学んだことを哲学カフェとつなげることができたように思います。
さて、皆さんの作られた詩を下記にご紹介します。諸般の事情によりペアがそろっていない場合があります。
哲学カフェプラスを広めたい、と思っています。今後ともよろしくお願い申し上げます。
「説教」 マスナガさんの話を聞いて しもちゃん
人が会話をする時は
気持ちがどうしても
込められる
込められた言葉を
受け取ると
自分の気持ちが
生じてくる
説教すると言う立場や状況が
あったとしても
私は説教だと
感じない
ただただ気持ちの交換があるだけで
それが大事
「説教」 霧雨鏡月さんの話を聞いて くじらひげ
説教とは、本来、いいもののはず
けれども、世間にはマイナスイメージが、
満ち溢れている。
自分もそのイメージに概ね賛同する。
ただし、単純に悪いものではない、ということも、この場で知ったように思う
だからと言って、説教を連発していいもの
ではあるまい。
一生に三度ほど、そんな機会があれば十分
要は信頼関係のあるなしが肝心だ。
「説教」 くじらひげさんの話を聞いて 霧雨鏡月
初めてカフェに参加
話すというより
聴くことを大切に
カフェの一つの
あり方を示される
参加は一回だけでなく
これからもぜひ
説教については
私と同じような感想で
だからこそ
説教の価値をかえって
今こそ
新たに見つけてもよいかと・・・
皆と話しても
くじらひげさんと話しても
自分にとってわかりきっていた
「説教」の印象
少し変わったかな
それが人と話す事のよさ、新たな自己発見
「説教」 いけださんの話を聞いて かみや
今日、お初にお目にかかりました。
「説教」と言うテーマでの参加でトークす
る場でありますが、会全体を見ていらして、
その上で「説教」というトークに参加された
ように感じます。私は哲学カフェに参加する
のは三回目なのですが、会話の中で私自身の
為になる事を一つ持って帰ろうと思い参加し
ていますが、いけだ様はファジーな感じで力
が抜けていて、そのような参加の仕方も善い
なと思いました。
「説教」 かみやさんの話を聞いて いけだ
どうしようもない先輩の説教
ストレスの解消か、理不尽さが垣間見える
何かいい方法はないか・・・
皆さんの意見や話を聞いてみると
何かあるかも
結局のところ解決の仕方は見えた?見えない?
約一時間半カフェに参加し、これだけ聞いても、
やはり結論は同じ?
自分がこれだけ聞いてみたという納得する場に
はなったのかも・・・
何かは持って帰ろうという 何かは
あったような気がする
「説教」 たらこさんの話を聞いて 小学校
はじめて会うあなたとは
やっぱりおともだちになりたい
おともだちになる中で、おせっきょうは
いるものですか?
できればそんなものなしに
自然になかよくなりたいけど、
いつのまにかおせっきょうが入る会話を
していることもありますね。
今日、朝に「せっきょう」というテーマをき
いて、その時に「参加しよう」と思って来
てみたけれど、
話し終えたら私も
他の人と仲良くなるチャンスを
自らのおせっきょうで無くしてたのかもし
れません。
でも
淡々と教えさとしあう人づきあいは大好き
「説教」 小学校さんの話を聞いて たらこ
ああいっぱいしゃべってスッキリ。
でもね、もっと他の人の思いも聴きたかった
な。だってね、なんといっても、みんな違う
し、それってすごく素敵じゃん。
僕の知らなかった世界がぐーんと広がるんだ
みんないいたいこといっぱい持ってる
とてもじゃないけど時間が足りないねえ。
僕は思うんだ。みんな説教苦手みたいだけど
僕はイヤじゃないよ。僕は思うんだけど、説
教係数ってあると思うんだ。何にだって+と
-があるもんね。え?面白いでしょう?
それだって僕の中では一つの真実であって人
の数だけ真実はあると思うんだ。
となりの人は大笑いしてたけど、僕はそんな
しゅんかんが好き。僕もみんなの真実を聴い
て感心したり楽しみ合いたい。
だからしゃべりすぎると、ちょっと残念に思
う。もっとみんなの話も聴きたいんだ
「説教」 マジマジさんの話を聞いて ☆☆☆
けっきょく「誰から」のものか
「中身」ではない
課題を分ければ「誰」の問題かわかる
その人自身の課題だ
それからはうるさくはならないよ
哲学カフェはいつも面白いけど
知っている人がいると
自分のことを言われているような
気がするよ
そうやって
いろいろ考えるんだ
- 2016/06/12(日) 01:11:48|
- 哲学カフェプラス
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