第三十一回むこのそう哲学カフェ
「その人らしさを知るとはどういうことか」
2015(H27)年8月9日(日) 14:00-16:00 会場:西富松会館 参加者11名
◆自分らしさについて
・自分らしさを他の人に知られたくありません。安易に分かられたくないというか、誤解される危険があるので知られたくありません。
・「らしさ」とは、性格のことでしょうか。人格のことでしょうか。
・「らしさ」とは、他人から評価されるタイプ・イメージのことではないでしょうか。
・「らしさ」とは誰にでも共通している部分で反応するパターンを理解することができるものでしょう。役割とか行動とか、さらにそれらを演じているとか
・品性・品行と言うことでしょうか。
・「らしさ」とは、その時のイメージで絶えず更新されていると思います。
◆知ると言うこと
・知ると言うことについては、直感的に分かると言う場合と共感できるという事があって、その中間もあると思います。
・知ると言うことは、色々と比較して外堀を埋めるようにして理解するのではないでしょうか。
・知ることとは、知ろうとする側が理解することなので対象のその人の独自性は見られないと思います。
・付き合いが深まって、それから気づく出会いもあります。その時は今までのラベルをはがして、もう一度付け直すのでしょう。そうやって本質に少しづつ近づくのだと思います。
・海を知るのには一滴あれば足りると言います。出会って20秒、あるいは5分でもあればその第一印象は正しいと思います。
・その人の本質はなかなか分からないと思います。
◆固定的な決めつけ
・「らしさ」を知られることによって自分を固定的に捉えられることに抵抗があります。例えば、泣き虫と決めつけられるのは嫌だし、危険を感じます。
・パキスタンを旅行してヒッチハイクをした時、現地の人が「オマエは日本人か」と聞き、そうだと答えると乗せてくれました。「日本人を助けることは良いことだ。お前を乗せることが出来てオレはラッキーだし嬉しい。」と言われ、私自身のことではなく、日本人というラベルで判断されたと思いました。もしこれが中国人だったら違っていたのだろうかと思いました。
・日本人らしさと誰それさんらしさとは同じでしょうか。
◆人間関係とラベリング
・分かる、分かられると言う関係には優劣があると思います。分かった方が優位。だから分かられるのは嫌です。
・分かってもらった方が助けてもらえると言うこともあると思います。
・知る、とはその人の属性や性格を知ると言うことですが、容易に先入観や決めつけに引っ張られるように思います。
・ラベリングをすると言うのは、楽をすることだと思います。実用的で安定的な人間関係を築く方法でしょう。会社などでは役に立っていると思います。
・そのような実用性を越えて深く知られるのは嫌だと感じます。
・本質的な自分は属性を並べ立てても出て来ないと思います。
・安定的な人間関係を築く為のラベリングは、無意味なラベリングなのでしょうか。
・他人とは、自分を正しく評価しない存在です。他人には決めつけられる、と感じます。
・自分らしさを知ってもらって、安らぐ人もいますし、安らがない人もいます。
・長所や短所を見抜かれることで、関係をつくりたい、作りたくない。
◆他人のイメージ
・その人を知るのはジグソーパズルみたいなものだと思います。まず最初に一つのピースから全体をイメージします。次のピースが見つかれば二つを使って全体をイメージする、そうすることで順々に全体イメージに近づいていきます。
・全ピースが揃ったとしてもそれでその人が分かると言うものでもないと思います。
・その人のことを他の人の方が分かっていると言うこともあるように思います。
・しかし、人と出会えば、その人を知らずにいると言うことは出来ません。敵か見方かなどを判断したいのでしょうか。
・自分らしさを人に聞いて見ると分かることもあります。
・子供のころは、周囲に理解を求めている。自立する訓練をしながらその間はマイペースでは生きていけない。
・らしさには、統合されたイメージがあります。その中では矛盾がなくて言葉で語れる普通の整合性を持っている。それによって価値判断をしているのでしょう。
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日本人らしさのように個人を離れて国や民族レベルでの「らしさ」もあると言うご意見になるほどと思いました。さらにそこからラベリングの話に広がっていく様子は「らしさ」が意外にも私たちの認識にとって基本的なものなのか、と考えさせられました。
たくさんのご意見をありがとうございました。
- 2015/08/22(土) 20:24:29|
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