木曜読書会、鷲田清一著「哲学の使い方」P63-P81を読みました。第2章に入り、俄然難しくなって来てオタオタしてしまいました。色々な論が出て来て振り回される感じです。目が回る。
なんだこれは?と、落ち着いて考えてみると、ある考えが浮かんできました。
ここで著者は「すぐには解消されない葛藤の前でその葛藤に晒されつづける耐性 P64 」を読者に試しているのかもしれません。
入門書の振りをして(だって第一章は「哲学の入り口」です)いますが、耐えられない人も多いことでしょう。
読書会で読んでよかった。一人ならもういい加減、投げ出しています。
さて、来週が今年の木曜読書会最終回です。寒い中ご参加いただいたみなさまに御礼申し上げます。
- 2014/12/19(金) 00:31:51|
- 2015
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
テーマ:「今年気になったテーマ、発言」 日時:2014(H26)年12月6日(土) 15:00-18:00
会場:Café & Bar REVE 参加者:12名今年最後の哲学カフェは、望年会を兼ねて行いました。開始から1時間程哲学カフェを行いその後、望年会へ移行しました。今回は期せずして哲学カフェや哲学対話とは何か、というメタな話し合いになりました。
望年会に移行してからも皆さんがそれぞれ実践されている哲学的対話について話し合いが続き、とても楽しい時間となりました。
ご参加いただいたお一人お一人に御礼申し上げます。みなさまと一緒に小さな哲学的対話の場を維持できたことを感謝しております。本年1年間、ありがとうございました。
来年は新年早々、伊丹と東大阪で新しい哲学的対話の取り組みが始まります。むこのそう哲学カフェと併せて来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
なお、ご参加いただいた方にはご案内の通り、望年会参加費としていただいた会費の一部は「山王こどもセンター」へ寄付させていただきます。ご協力ありがとうございました。
*************************************************
◆哲学カフェで話すということ
・3月の「結婚のメリット・デメリット」では、個人的な事情が出るとしゃべりにくい、と言う経験をしました。親の離婚や、結婚観など非常に個人的なことを話されていて、それに対してどう話したら良いか、戸惑いました。
・例えば聞きたかったのは、夫婦関係が上手くいかないのは仕事に生き甲斐を持っているからか、とかだったのですが聞くことを躊躇しました。
・そのような戸惑いが出てくることもやむを得ないのではないでしょうか.
・個人的な事情のような話が出てこそ、その場が生き生きするのではないかと思います。
・結婚と言うテーマが、戦前の慣習や法の考え方の変遷などを含むテーマだったのが影響しているのではないでしょうか。
◆対話のマナー
・話者が進んで話すことには個人的な事情であっても触れても良いと思います。
・ルールとは違ってそれ以上突っ込んで聞いていいのかの判断は、話者がそれ以上話すのが嫌なら突っ込まないと言うことでしょう。これは、対話のマナーではないでしょうか。
・突っ込んで、きちんと聞かないと表面的な批判をしてしまうことになる懸念があります。質問を行えないと対話が停滞するように思います。
・突っ込んで聞けるかどうか、という参加者同士の関係性が問題ではないでしょうか。
・哲学カフェは基本的に一期一会です。他人同士であることが却って聞きやすいと言う場合があると思います。
・質問しにくいと感じるのは相手の言外の態度や雰囲気によって感じることが出来ます。
・受け手側の理解度の問題もあると思います。
・対話のマナーと言うか、技法のようなものがあると思います。突っ込んで聞く聞き方や回答の仕方も、技法としてあるように思います。
◆経験を共有する、ということ
・参加者の経験談を聞くというより、その経験を通して「考えたこと」を聞くべきでしょう。
・その意味で質問はその人のパーソナルヒストリーを聞くのではなく、「なぜですか」と聞くような質問が適切ではないでしょうか。
・突っ込んだ質問がしにくいと言う発言もありましたが、その一方で質問されてそれに対して発言をすることで考えが完成されて行くということもあると思います。
・NSD(ネオ・ソクラティックダイアログ)に参加した経験からすると、哲学カフェなどで語られるエピソードは、その場に提出された時から個人から離れてその場で共有されるものだと思います。
・その場合、言いたくないということをどうやって担保できるのでしょうか。質問には答えなくてはならない、と思うものではないでしょうか。
・経験に突っ込んで行くのは暴力になりうる場合もあります。
◆対話とは何か
・経験談を根掘り葉掘り聞いたところで哲学的な深まりは期待できませんので、これは質問する側の問題でしょう。
・自慢大会になってしまった時はつまらないですね。その時はファシリテーターが止めに入いらないと困ります。
・哲学的対話の場であると言う参加者同士の了解があることが必要でしょう。
・ファシリテーターが介入しなくても、他の参加者が話し過ぎを指摘することは良いことだと思います。
・発言する側は、掘り下げたくなる発言をしてしまうことの責任はあると思います。
・質問を受ける側には回答するかどうかの判断があります。答えたくないこともあります。
・しかし発言は、聞き終えてみるとなるほど、となることもあるし、聞くことそのもので感じることもあります。
・自ら話をしたことに対しての質問は、その内容を明確にするためであれば良いと思いますし、答えたくない場合は答えなくても良いと思います。
◆自分の言葉で語ると言うこと
・哲学カフェでは哲学者の学説などを引用することが良くないように扱われることがあります。しかしどの学説をどのように引用するかは個人個人で考えて判断しているので、一概にルール違反とは言えないのではないでしょうか。
・学説などの引用に対して説明を求めることはかまわないでしょう。
・話し方は個人差があります。質問をしたり、理解でき損ねたり、困っていたり、そのような自分がいるのも良いと思います。
・ファシリテーターの流儀には色々あります。中にはその流儀に合わないこともあるでしょう。
*********************************************
普段の哲学カフェではあまりメタな話し合いは行いませんが、今回は哲学カフェがいかにして成り立っているのか、を垣間見えたように思います。参加者のみなさまの哲学的対話に対する熱意とでも言うべきものを感じました。ファシリテーションの参考になるお話も多く来年の活動に繋がって行く話し合いでした。
- 2014/12/14(日) 12:09:23|
- 2014
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0