以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

131028 11月のむこのそう哲学カフェ

2013(H25)年11月3日 第十一回むこのそう哲学カフェ
  テーマ「自分の善さを知っていますか?」

      11月10日 第三回eカフェ
  テーマ「Why do we have war in the 21st century?」
1311チラシ
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  1. 2013/10/28(月) 23:06:01|
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131026第一回むこのそうシネマカフェ 開催報告

第一回むこのそうシネマカフェ 開催報告

日時:2013(H25)年10月25日(金)19:00-21:30
場所:子どもの未来を考えいるお店「せいのお」
映像:「いのちの食べかた」ドイツ映画 2005年 新日本映画社配給 92分
参加:4名(男2名 女2名) 哲学カフェ初参加者1名


台風の影響の中、お集まりいただいた4名の方々、ありがとうございました。
むこのそう哲学カフェでの初めてのシネマカフェを開催しました。しっかりと話し合いができたのではないかと思いました。予定を30分オーバーして終わりました。
先日のカフェフィロのイベント「O:NIKU+哲学ワークショップ」参加者が2名いたことや、ほかのワークショップで鳥の屠殺の経験のある方も1名おられ、映像の中のこともさることながら日常のいのちと食についての話になって行きました。以下その時の様子をご報告します。
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◆労働者

・映画の中の労働者たちはそれぞれの仕事を楽しそうにして居るという印象を持ちました。黒人も楽しんで働いているようです。
・働き方が結構アバウトな感じで、余裕を持っているように思えました。
・命を絶つ係りの人はどんな気持ちなのだろう。きっと何かを押し殺して作業しているのではないでしょうか。
・休憩中に一人で写っている労働者は楽しそうでもない。監督の意図があって写しているのだろうと思いますが。
・労働者の表情が「労働」している表情なのに対し、動物は動物らしい表情をしていると思いました。

◆産業
・日本の一次産業は衰退の一途をたどっているし、昔は100%第一次産業に従事していたのですが、だからといってこれからその時代へ戻るのではないでしょう。とすると、より大規模で機械化がもっと進んでこの映画のようなことになっていくのは当然のことだろうと思います。
・分業により、食べる側とそれを用意する側に分離しているがこれは悪いことではないと思います。食べる側が嫌なことを見なくてすんでいるので、却って嫌な作業をしている労働者に感謝しています。
・分業で命を奪う仕事をしている人はこのような流れ作業で、次から次に処理すべきものがやってくることで考える時間が無くなって救われているのではないかなあと思います。
・作物や動物のことを考える暇がないからこそ、真正面から向き合えないことでつらいのではないでしょうか。
・命を奪うという感覚を捨てているのでしょう。
・効率化を追求すると、人件費を削るのが一番いいと思います。しかし効率を上げると人間のする仕事の量が減ってしまうというジレンマがあります。ある程度の対価を維持することが結果として効率的になると思います。

◆命を感じる
・鶏を絞めた後、その肉を普通に食べられることはいけないのではと思ってしまいました。命を奪った動物にお返しをしなくてはと思います。
・動物の命を取ることは生きるために避けて通れないことなので割り切るべきでは、と思います。
・トラでもライオンでも草食動物を食べるのに遠慮はしていません。動物は必要な量しかとらないと言いますが、労働の現場では与えられた仕事をするので、そんなことは言っていられないでしょう。
・自分で鳥を捌くという経験は死をリアルに感じることで、しっかり死を感じることは大切なことだと思います。
・菜食主義には二つの理由があると思います。一つは死んだ命を自分に取り込みたくない。もう一つは殺したくない。と言う理由からです。
・牛の筋肉組織を培養して”肉”を作られているようです。もう少ししたら、大きなタンクで培養した”肉”が売られるかもしれません。
・効率を追求したら、そうなるのでしょう。そして安く供給されると、そういうものを我々は食べるでしょう。選択肢がない。
・それは牛ではなく、細胞なので植物を食べるのと同じなので、いいんじゃないかと思います。
・人間は、共感する動物だと聞きました。動物も一緒にいるとかわいくなるので、それを食べるために殺すということができなくなると思います。
・絵本やキャラクターなどで動物をやたらにかわいく表現しているのは、どうしてでしょう。過剰なかわいげが、「かわいそう」という感覚を助長しているのではないでしょうか。
・人間の尊厳といいますが、動物にもにわとりにも尊厳があるのではないでしょうか。いくら家畜だからと言ってこんなに簡単に死ぬということは、尊厳はあるのかと思ってしまします。
・人間の体には体内や体表面に大量の菌が住んでいます。そのことも含めて考えると「人の命」と言うのがどこまでが命で、どこからが肉かとか、いつまでが生きていることでいつから肉になるのか、はっきりとしないと思います。
・動物の扱い方が効率化によって動物の権利を無視していると思いますし、それだけではなく人権を無視していることになるのではないかと思います。
・自分の身近に命を意識することが少なくなってきました。たとえ大きな動物が身の回りに居なくなっても、植物でも微生物であっても、その存在を感じて命を意識するということは大切なことだと思います。
・カフェフィロのイベントでは屠殺と解体をやったのですが、料理をしたかった、と後で思いました。育てるところから食べ終わるところまで全部やりたいと思います。

◆子ども
・中学生に食物連鎖の説明をするとき、生物の名前を出すと必ずと言っていいほど、拒否反応がでました。「肉は食べたけど、牛は食べていない」と子供たちは本心から言っているようで、いのちの連鎖を教科書でわかっても納得はしていないようです。まるで子供は別世界にいて事実を認めることができないかのようです。
・生活環境から生産者の顔が全く見えなくなったことも影響しているのかもしれません。

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上映後、コーヒーやワインを飲みながらわいわいと話しました。
この映画は一人で見るより多くの人と見てこのように話し合うことが有効だったと思います。元々哲学カフェでは一つの意見に収斂するものではありませんが、今回は特に多様な意見があってその意見の根拠がしっかりと見通せるという経験ができたと思います。

かわいい、と思うことはどういう感情なのでしょう。かわいそう、とはどういうことなのでしょう。みたくない、やり過ごしたい、関係ない、と言うことは何を遠ざけ何を望んでいるのでしょう。

さて、むこのそう哲学カフェでは今回のシネマカフェのほか、英語で話そう哲学カフェ(eカフェと呼んでいます)、通常の哲学カフェ(哲カフェと呼んでいます)を行っています。

11月3日(日)は哲カフェ、テーマは「自分の善さを知っていますか」
11月10日(日)はeカフェ、テーマは「Why do we have war in the 21st century?」

シネマカフェも次回を企画したいと思います。
お気軽にお立ち寄りください。お待ちしております。
  1. 2013/10/27(日) 00:11:45|
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131025第一回むこのそうシネマカフェ、終了しました。

第一回むこのそうシネマカフェは終了しました。

台風の影響の中、お集まりいただいた4名の方々、ありがとうございました。
無事、お帰りでしょうか。

先日のカフェフィロのイベント「O:NIKU+哲学ワークショップ」参加者が2名いたことや、ほかのワークショップで鳥の屠殺の経験のある方も1名おられ、映像の中のこともさることながら日常のいのちと食についての話になって行きました。

もっといのちをしっかり感じながら、食べたい。と言う考えもあり、命を絶つことにとても重さを感じるという意見もあり、第一次産業と言う名前を付けられ、現代社会では食そのものが産業になってしまっていることや、その産業の中で生きる人々の日常に思いを馳せて、自分だったら何を引き受ける道を取るか。という話にもなりました。

また、「肉は食べるが牛は食べない」と言う子供が多いという話にはいよいよ人間は動物をやめて宇宙人化し始めたのかとか、培養された牛の筋肉組織で作った"肉"(アメリカ人がおいしくはないと言っているので、きっとまずい…)について、やがて私たちは受け入れるかもしれない、など食を取り巻く変化は、思った以上にすさまじいものなのかと思わされました。

かわいい、と思うことはどういう感情なのでしょう。かわいそう、とはどういうことなのでしょう。みたくない、やり過ごしたい、関係ない、と言うことは、何を遠ざけ何を望んでいるのでしょう。

上映後、コーヒーとワインを飲みながらわいわいと話しました。

また企画しますので、よろしくお願いします。
  1. 2013/10/26(土) 01:23:08|
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