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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

130826むこのそう哲学カフェ、「番外編」終了しました。

むこのそう哲学カフェ番外編 「英語で話そう哲学カフェ」 開催報告


日 時:8月25日(日)14:00-16:00
場 所:伊丹市野間のアイデアル英会話教室
参加者: 8名(男6名 女2名)
テーマ:「What is freedom?」


むこのそう哲学カフェの番外編として「英語で話そう哲学カフェ」を行いました。
当日は、イギリス人3名と日本人5名にお集まりいただきました。ご参加いただいた方々、ありがとうございました。双方の言語を理解される方が数名おられました。

英語を話す方は英語で、日本語で発言する方は日本語でご発言頂き、進行役が双方向の通訳をしながら進めました。

通訳するために時間を取られたこと、通訳が適切であったか問題が残ることとはなりましたが、2時間、楽しい時間を過ごすことができました。以下、当日の様子をご報告します。


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◆個人の自由と社会
・近代社会では個人に自由はない。個人は常に監視され操作される対象であり、マスコミやインターネットなどのメディアは個人の監視・操作に格好のツールである。そのような環境にいるすべての人は自由ではない。

・近代社会における自由は政治的に隠されていると言えるのではないか。重要な政策に我々が参加できる可能性は小さく、「雲の上」で決まったことは所与のものとして与えられるしかない。
・社会が”標榜する”自由は特定の権力者たちの要求で決まる。したがって個人の自由と社会が求める自由とはどこの社会、いつの時代でも一致しない。

・自由を声高に主張することには用心する方がいい。アメリカもイギリスも「自由!Freedom!」と言っているが、しばしばそれはLibertyであり、Freedomではない。Libertyは、海事から発達した言葉でもともと船長が船員に与える上陸許可を意味していた。つまり権力者から与えられた自由であり、自由そのものではない。

・自由とは権力者にとっては、制限するものである。例えば蜂の社会のように人々の役割を明確にし、それぞれの役割に専念することに価値を置いて勝手なふるまいを制限する。ちなみにBee-hive とは蜂の巣箱のことであるが、これから派生した英単語がBehaviorである。(編集注:この単語にはふるまいと言う意味と、習性、適応性などの意味がある。)

・個人の気持ちの中ではいつでも自由になれる、と思う。しかし社会に対するとき、突然不自由さが増加する。原発事故に関することでも言い出すことに大変なプレッシャーがある。自由には議論もできない。何か発言をすることが「余計なことを言う」と圧力をかけられているように感じる。

・法には2つある。一つは神の法で「殺すな」「盗むな」など大切な価値を持っている。もうひとつは海事から発達した法であり、「規則」である。船の中では争いごとを起こさないため、何事も細かく決められていた。このような規則は混乱を避けるために作られたものだが、個人の自由を制限するものでもある。

・その一方、仮にそのような細かな法がなくても直ちにそしてしばしば混乱に陥ることもないはず。法や規則は自由を制限するためなのか、自由を守るためなのか。

・現代社会の反対のイメージとして、もし森の中で孤独に生活している人がいれば、自由だろうか。あるいは政府を持たない生活と言うのは混沌として自由に行動する者の闘争が発生して危険なものになるのではないか。

・法が定められるのは、理由がある。例えば自動車の制限時速はそれ以上のスピードを出せば危険が増大すると言う理由によって定められ、それによって自由は制限されるが、事故は確実に減っていく。

・法による細かな規制はいくら作っても作っても追いつくことはない。その一方、人間はほっておいても調和を保つ生き物だ。政府がなくても一時の混乱はあるかもしれないが、いつまでもすべてが混沌とすることはないだろう。

◆絶対的価値としての自由、相対的な自由
・日本の今の時代は中東やアフリカとは違って戦うことを強いられたり逃げることを余儀なくされたりはしない。それだけで十分自由とはいえる。

・歩けること、食べられること、些細なことだが自由にできる。これらのことができない状況にある人も少なくないのであり、自由とは相対的な概念ではないか。

・ 理念としての自由を考えるより個別の具体的な場面での自由を考える方がよいかもしれない。

・肉体と精神を分けて考えると、肉体はそれを維持するために自由にはなれない。精神は自由になりうる。「肉体は精神の監獄である」、とはこの意味だと思う。

・ 肉体と精神はコインの裏表のようなもの。決して離れることはない。

◆個人の決断と自由
・外国人が日本に住むということで何か不自由を感じることはあるのだろうか。

・急速に世界中が標準化されてきている。100年前の日本に来たら非常に戸惑うだろう。しかしそれこそが日本であって、今の日本はフランスもイギリスと一緒、同じような服を着て同じような生活をしている。ただし、それは日本が西洋化した面もあるが、同時にイギリスもフランスも標準化され、独特なものを失っているという点で同じである。

・今の時代、地球上行きたいところへ行き、住みたいところに住むことができる。それを決めるのは個人でありそれが自由だと思う。

・自分がしたいことを自分で決断できるためには、教育を受け、情報を集めたり判断したりすることができるようになる必要がある。教育は自由を手にするために不可欠な手段である。

・子供が育つ過程では、ある程度の枠に入れる必要がある。そのように自分も育ってきたが、その枠は大人になっても意外にいつまでも人を縛り付けるものでもある。自分が子どもを育てる際にもそのように、枠に入れることが必要だったが、ある程度大きくなったら、それを外すことも大切だと思う。


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「英語で話そう哲学カフェ」は、テーマをできるだけ広い視野から検討するための一助となると考えています。

例えば今回のテーマは「What is freedom?」でしたが、Freedomは日本語の「自由」とはニュアンスがいくつかの意味で異なります。図らずも「FreedomとLibertyの違い」について質問がでると、語の持つ意味合いや使われ方、語感、語源、などネイティブの方に聞いてみなければわからないことが聞け、楽しい経験となりました。


番外編を企画したのは本編(月1回開催)に対し、少し実験的で内容的にも異なった哲学カフェの在り方を探ってみたかったからです。

今回、「英語で話そう哲学カフェ」が実現したのは、場所を提供してくれた伊丹市で英会話教室を主宰しているジョセフ・キャロルさんが哲学カフェに興味を持たれたことがきっかけでした。

母語以外の言語で自分の意見を表明するということはそれなりの言語的な能力を要求されます。さらに、対話が成立するためにはかなりの場数と経験がないと難しいと思われました。

しかし、その経験と場数を重ねるためには自由に発言しあう場が必要で、そこで自分の言いたいことが言えないという体験を重ねなくてはなりません。

このような場はなかなか日常生活ではありませんので、自分で作ってみよう、と思いました。哲学カフェは「一期一会」を大切にします。どのような方にご参加いただけるは事前にはほとんどわかりません。ひょっとするとだれも来ないかもしれないと思いながら、やってみることにしました。

幸い、キャロルさんから場所の提供を受け、全部英語では間口が狭くなるので日本語と英語のちゃんっぽんでやったらどうか、と提案もしてもらいました。通訳の技量に不安を感じながらもなんとかなるだろう、と思いながら準備をしてきました。

いつものようにポスターを用意し(スギさんに作って頂きました)、カフェフィロのブログに掲載して頂くなどいつものようにしたほか、本編に参加して頂いている方や知り合いに声をおかけし、キャロルさんも知り合いに声をかけて頂きました。

結果8名の方にご参加いただきました。人数的には良かったと思います。これ以上多いと通訳しながらでは進行がもたついて困難だったかもしれません。

場所が電車の駅から遠くておまけに古い村の中にあり、判りにくくて迷われた方もおられました。遠路、足を運んでいただき本当にありがとうございました。

また、この企画の実現を後押ししていただいた「明日のジョー」ことキャロルさんに感謝申し上げます。

さて、番外編の続編があるかどうかまだわかりません。しかし多くの方に助けて頂きながら、何かまた企画したいと思います。その際にはぜひまたご参加ください。

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  1. 2013/08/27(火) 01:04:36|
  2. 2013
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第八回むこのそう哲学カフェ 開催報告

第八回むこのそう哲学カフェは、夏の盛りの暑い中、9名の方々にお集まりいただきました。
今、街には怪談やホラーの映画や催しもの、博物館までお化けを特集しています。怖いもの見たさと言いますが、怖いものについてじっくり考えてみました。今回は9名の方にお集まりいただきました。各自が実際に経験された怖い思い出を交えながら、「現代の怖いもの見たさ」に迫りました。


日時 2013(H25)年8月11日(日)14:00-16:00
場所 カフェ・トレピエ  
テーマ 怖いもの あなたはなぜ見たい?

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◆何が怖いのか
・怖いものには二つあると思います。ひとつが、作り物(フィクション)の怖さ(映画、怪談、お化け屋敷など)と、もうひとつがリアルな怖さ(死体、霊、<死>)などです。  
・ホラー映画を作り物と分かってみるのは非日常を求めている、非日常を体験しているということではないでしょうか。
・今までで一番怖かった映画は「怪談(注:1965年東宝)」です。「黒髪」で武士を演じる三国廉太郎の表情は忘れられません。怖くて「もう見ない」とDVDを奥にしまいこんだのに、また引っ張り出して繰り返し見てしまいます。
・他にも「リング」「世にも不思議な物語」「四谷怪談」「百鬼夜行伝」などがあります。
・昔の映画のほうが怖いと感じます。CGが使われていることが判ると、急に怖くなくなるようです。
・古くて広い田舎の家などは「開かずの間」などがあって、怖いです。子どもでなくでも大人でも夜中にトイレに行くときには怖く感じます。
・怖いものを見てみたいのは子供ではないでしょうか。怖いものを見たくなるのは年齢にも関係すると思います。
・もし、祖母などの幽霊が出たとしても怖くはおもいません。むしろ話をしたいと思います。
・放射能は目に見えないという怖さがあります。危険が目に見えて判れば対処できると思うので不安の正体を暴くことで安定したい。というのが、怖いもの見たさと言うことだと思います。
・理解不能なもの、たとえば魔物とか本当の怖いものには理解しようとしても取り付く島がない感じがあります。
・作り物の怖さであって自分で選んで見て、頭でわかっても、怖さはある。
・驚く、心配する、気持ち悪い、不気味などと怖さとは違うように思います。


◆怖いものに引かれる?
・怖いもの見たさという言葉があるが、これは怖いものを見た時の自分の反応を確かめてみたい、ということではないでしょか。
・好奇心があって、知らないものを知りたいという欲求でしょう。理屈や正体を知りたいです。
・好奇心と言うより、知らないことがあると不安なので、その不安を解消したいという欲求ではないでしょうか。
・反射的に反応することに言葉と想像が加わると「怖さ」が生まれると思います。
・怖いもの見たさとは言いいますが、作り物は見たいとも思いますが、リアルなものは見たくありません。
・不気味なもの、気持ち悪いと感じるものなどに接すると反射的に怖さを感じます⇒しかし慣れて判ってくると怖くなくなってきます。
・歳をとると怖いものに対する判別能力が高まるので怖いものが減ってきます。


◆<死>は怖いか?
・<死>そのものが怖いのではなくて、<死>について考えてるのが怖いです。
・<死>があるから「生きていることが怖い」。生きていることは他者とのかかわりの中で生きていることなので孤独な存在であることを感じると、不安や恐怖が生まれる。それを打ち消すために、あえて怖いものを見る、怖いものへの好奇心が生まれるのではないか。
<死>につながるものが怖い、死より怖いものがわかっていたら怖くないはず。
・<死>については、怖さよりも周りにかける迷惑を考えて、よくないことだと思っている。
・人間とは、不安な日常があっても、それを「怖くないよ」と言い聞かせている存在ではないか。
・死より怖いものとは何だろうか。

◆子どもとおとな、そして時代
・子どもの頃怖くて仕方なかったものでも、今は怖くないし、つまらないと思えるものは多い。
・時代が変わって、闇が減り、女性の立場が変わり、ゲゲゲの鬼太郎とオバQが世に出たことで、怖さが減った
・今の子供は怖さを楽しんで知る。例えば、一緒にお化け屋敷に行った友達の反応を楽しんでいる
・お化け屋敷に入るときには、心構えがある。心構えが無いと、怖さが増える。
・予測できないものは怖い、事実を見たらわかるが、子供は判らない。
・好奇心だけではすまない。
・大人になって対処できる覚悟ができると、怖くなくなる

◆非日常としての怖さ
安心して味わえる怖さ・・・意外性、演出などを楽しむ
日常とは異なる感覚を楽しむ・・・ジェットコースター
広大な宇宙を考えていると、とてつもなく大きな存在と、とてつもなく小さな人間とを想うと、空恐ろしくなる。


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怖いものと、それをなぜ見たいかの二つの事柄について話し合ってきました。終了後このように参加者の方々の発言を拾っていくと、怖いものを見たい理由は三つあげられました。

1) 理解できないもの、知らないものを放置することは不安であり、理解したいという欲求がある。
2) 怖さを感じたときの自分の反応、ぎゅっと身が縮まるような感覚とその後の開放感を味わいたい。
3) 怖さは慣れてくると減っていく。一方、<死>を感じながら生きることの怖さゆえ、怖いものに対する慣れが必要となり、怖いものを求める。

9名の方々の体験とそれを見つめる省察を出し合っていただいて、ここまでたどり着きました。
これは結論ではありませんが、哲学カフェの良いところは、大きく、視野を広く見渡すことができることだと実感します。テーマに真摯に向き合うことで、多くの繊細な事柄を丁寧に話していただいたと感じています。
大変暑い中、お集まりいただいた皆様、ほんとうにありがとうございました。

次回は9月22日(日)14:00-16:00 場所が変わって西富松会館で行います。テーマは「シリーズ~考えるを考える~第2回」です。

なお、本編とは別に<番外編>を企画しましたので併せてご案内します。番外編は「英語で話そう哲学カフェ」。テーマは「What is freedom?」です。
8月25日(日)14:00-16:00 場所は、アイデアル英会話教室 (住所:伊丹市野間6丁目5-1)です。前回の記事にポスターを掲載しています。下欄を参照願います。

 
  1. 2013/08/16(金) 23:55:13|
  2. 2013
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第八回むこのそう哲学カフェを終了しました。+番外編のご案内

番外編~英語で話そう哲学カフェ~
むこのそう哲学カフェの番外編登場!

第八回むこのそう哲学カフェ、終了しました。

たいへん暑い中、9名の方にお集まりいただきました。
「怖いもの なぜあなたは見たい?」と言うテーマでしたが、面白かったのは、「本当に怖いものは…見たくない」と言う点ではみなさん一致していたようです。

見てしまうのは、「きっとそんなに怖くないものだから、正体を確かめるために見よう」としたり、フィクションであることが分かっているものを見るということのようでした。

怖い思いをすることは、準備のないところではいや以外のものはないのですが、怖いとわかっている場合は見るということは、なにかパワーをもらうような機能があるようです。

詳細はまたあらためてUPします。

さて、次回は急きょ「番外編」です。8月25日(日)14:00-16:00、アイデアル英会話教室において英語で哲学カフェを行います。
と言っても、実際は英語と日本語のちゃんぽんになります。度胸試しと思ってご参加ください。

場所が分かり難いと思います。ストリートビューで見ることはできますが、遠慮なく電話:080-6144-7331(赤井)までお問い合わせください。



  1. 2013/08/11(日) 22:27:53|
  2. あまがさき哲学カフェの予定、案内
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