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以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

【あまがさき哲学カフェ】20230922 夜カフェ開催報告

2023年9月22日(土)19-21時 西富松会館 参加者6名
テーマ「何かとは何か、と問うことはどういうことか?」


◆最近印象に残った出来事
2か月ぶりにお会いする皆さんとまずは、最近印象に残った出来事などを話してもらいます。

・テニスを再開した。ブランクがあるのでどうかなと思っていたが、意外に行ける。ところが徐々に熱が入ってくるにつれ、失敗が増えてきた。なぜだろう。

・プレゼントをするのが大好きだが、相手によっては喜んでくれるかどうかとても難しい場合がある。人に何かしてあげるとは難しいものだ。

・夫が夕食を作る。簡単なものから凝ったものを作るようになってきた。助けてもらっていると感じている。

・インターネットのまとめサイトをよく見るが、なぜ、「ここだけ見れば大丈夫」という触れ込みが通用するのかがわからない。

・バイクと自転車の接触事故を経験した。相手が悪いのだが、倒れこんで動かない。しばらくして息を吹き返した。こっちは被害者なのに、加害者が死んだら自分が悪いかのような感情を抱くだろう。それは理不尽ではあるが止められない感情だと思った。

・出勤途中で会社に入るのに必要なIDカードがないのに気づき、取りに帰った。早めの行動をしていたのに間に合わず遅刻した。

◆今日の問いは・・・
このようなお話をいただく中、最近の風潮として答えを焦るとか、しっかりと問いを立てないのに結論を急ぐこととかがある。もう少し落ち着いて考えないといけないと言う気になる、と言う話になりました。
そこから今日のテーマは「何かとは何か、と問うことはどういうことか?」となりました。

・哲学カフェにおいて、問うことはとても大事なことです。でも世間で問われていることは、何かあらかじめ答えがセットになっていて「問うている格好をしている」だけのような気がします。

・ちゃんと問われていないのに、答えが垂れ流されているようです。
・いつの間にか問いが選択にすり替えられています。選択したことで答えた、と思わされている気がします。しかもその選択を広告などで煽られている。

・私たちはこのことに慣れてしまい、日々起きている問い、日々出くわしている疑問を深めずに時間が過ぎているように思います。問い直そうとする姿勢が必要でしょう。

◆問いの立て方
・問いに対しては考える価値を感じている。問い方には、自分の疑問を解消するために問う方法や、目的があることもあるようです。しかし、問うていられない!?こともある。例えば、面倒くさい、時間が来る、頭がもやる。忘れる・・・。

・問いが次々に出てくることもあるようです。その時はまず・・・
問いの立て方
問いには前提が含まれているものがあるでしょう。
例えば、①「Aと言う場所で仲間はできるか?」と問われたとき、この問いの目的は、Aと言う場所の性質が問われている②と思われるかもしれません。同時にこの問いには仲間とは親密度が高く、実際に会いしかも長い時間を一緒に過ごすことで初めてできるもの、という前提③があるかもしれません。
哲学対話では、問い①から出発はしますが①の問いがそのまま問われるのではありません。その問いそのものが吟味され、問いの目的②や前提③が問われることがあります。つまり吟味の結果「Aと言う場所はどういう場所なのか?」④とか「仲間とは何か?」⑤が問われることになります。

・では、このように問いが吟味されて①→②→③→④→⑤・・・と続くのはどういうことでしょうか。 何か欲しくなる、次々欲しくなるような感じです。

・スポーツでもまず理論で納得できないと、練習することもできません。理論で納得することで行動も行える、と感じます。その意味でも考える、と言うことが好きです。

◆問いが出ないとき
・問いに答えが出る時もありますが、問いが消えていくときもあるし、そもそも100%の答えはないでしょう。

・問うてみて自分が何を考えているのかわかる、と言うとこがあります。分かっている人はわかってないことをたくさん持っている人でしょう。

・地図の4色問題はずっと昔から地図を作る人には分かっていたが、スーパーコンピューターが登場するまで証明されませんでした。まるで問いを先読みするように、証明できないのに予想することがあります。

・問われないようにさせられていることもあるようです。 この辺は難しい。なぜ問わないのか、問えない/答えが出るとは限らないですが、問いが出てくる瞬間は、感覚的なものがあります。個人差もある。自動的ではない。考えさせないようにされていることに無自覚なのは普通かもしれません。

・例えば誰かに対して腹が立ったとします。そこでなぜ腹が立っている?と考えるか、腹が立ったからどうしよう、と思うのとはずいぶん違います。

・いろんな出来事から逃げない=問う=対策を立てる、とつながっていくでしょう。でも、なぜ問うたか? 大切にできない、よく知っている・・・ことが問わない理由にあるようです。

・神秘的な感じがします。ずーっと考え続ける問いって。

◆疑いと問い
・疑って問わないことが多い。これがsilent majorityでしょう。
・疑うことはその個人の内面の問題でしょう。

・問わせないと言うのは、疑って仮説を立てながら、も信じているような感じです。一方、問うことは、仮説を立てるが答えを探しているその結果はわからないと言うことでしょう。

疑っているふりをすることで、問わないことの責任を免れる?ことがあるようです。なので、疑っても疑っていなくても問うてみましょう!

・当と言うことは考える自由を共有できるということでしょうか。共有しうるものは問えると言うことなのかもしれません。


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次回は10月27日の予定です。夜カフェはテーマを決めずに行います。
どなたでもご参加いただけます。予約不要、途中参加退場自由です。
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  1. 2023/09/26(火) 11:50:18|
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【あまがさき哲学カフェ】20230909 武庫之荘哲学カフェ開催報告

2023/9/9 14-16 西富松会館 参加者9名 アンケート6名 

テーマ:から元気

終わってみて、「意外にいろんなことが話せた」という意見に賛同していただく方が多くいらっしゃいました。
久しぶりにお会いした参加者の皆様とのやり取りの余韻に浸りながら、ぼんやりと振り返っていると、ふと、から元気というものは人間や動物、あるいは知性と言ったものの特性または基本的な属性なのかしら、と思いました。


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・から元気は、空ではない本気の元気?とギャップがある。このことが大事なようです。

・病床にあって七転八倒の苦しみにから元気も出ない状態の時、いよいよ流れに任せるしかないと観念したその瞬間、苦しみや痛みがウソのようにスーッと収まっていった。どうやら、から元気はある程度は元気でないと出せないものだと言うことでしょう。から元気を出せる、ということだけで良い。

・自分の力以上の力を出す「火事場の馬鹿力」、もともと普段は80%の力しか出さないようにしているのをいざという時に制限を取っ払って100%の力を出す。これを意図的にしようとするのがから元気かもしれません。

・剣道で上段者と対するとき気合をしっかり送り気後れしない。これもから元気を出して、普段の制限を取っ払おうとしているのでしょうか。

・将棋で上段者と対するとき、相手を絶対負かすぞ!と強い想いを持たないと全く歯が立たない。相手との差を意識しない、ギャップを埋めるのはから元気かもしれない。

・病を得たり、経済的に困窮したり普段の自分からは落ちているのに、普段通りだと見栄を張ることもから元気でしょう。

・猫が相手を威嚇するとき、から元気ならぬから威張りをしています。相手を威嚇したり油断させたり相手との関係を有利な方へ誘導しようとする、そのようなから元気もあるでしょう。

・から元気は自分のため、あるいは自分に向けてものでしょうか。それは自己暗示のような効果、心の制限を取り除く効果があるのでしょうか。体と精神は繋がっていて落ち込んだときに体を動かし行動すると気持ちが付いてくることがあります。

・自分を信じるというより自分を騙す、はったりややせ我慢に似ているようです。
他人に向けたから元気は、気遣いかもしれません。あるいは見栄や駆け引きかもしれません。

・個人ではなく、集団や国家にもから元気はあるように思います。それは戦時体制のプロパガンダやブラック企業でもありそうです。

・さて、あなたはから元気を肯定的に思いますか?それとも否定的に考えますか。肯定的に捉えると、自分の限界を超えてチャレンジする姿が見えます。否定的に捉えると無理を重ねSOSを出せずに自滅していく危険なものでもあるようです。

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次回は10月14日(土)14-16時の予定です。テーマは「あきらめる」です。
どなたでもご参加いただけます。予約不要。途中参加退場自由です。
  1. 2023/09/10(日) 18:26:43|
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【1dayソクラティックダイアログ】開催報告

第7回1dayソクラティックダイアログ   テーマ 「大義名分」

日 時:2023年3月19日(日) 9時-19時30分
会 場:尼崎市営今北団地 集会場
参加者:4名
進 行:赤井


この1dayソクラティックダイアログは、第1シリーズ「戦争を放棄するとはどういうことか」をテーマにしたセッションのサブセッションである。文中【No※】は書き出された模造紙の番号を示す。時間はおおむねの時刻である。

第7回目は予定通り終了しました。
ご参加いただいた4名の皆様、ありがとうございました。

人数が少なめでしたが、議論は十分重ねられていると、感じながらすすんでいきました。参加者のお力を得られたお陰です。

さて、「あまがさき哲学カフェ」で取り組んでいる1dayソクラティックダイアログは「戦争を放棄するとはどういうことか」を考えてみようと始めました。
第1回目を行う時、はたして戦争放棄を考えることがソクラティックダイアログで可能なのか、全くわからない状態でした。回を重ね、ソクラティックダイアログそのものが上手く進められていることに手ごたえを感じていました。
コロナウィルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言のため、2年間もセッションが途絶えることとなりました。再開するにあたり、ブランクが開いたことが心配でした。
会場を団地の集会場に移し、私が普段活動している「ぐれいぷハウス」の近くでできるようになったことは運営上ラッキーなことでした。前回からスタッフの方に昼食やおやつを作っていただくことができるようになりました。
ソクラティックダイアログでは美味しいご飯やちょっとした心遣いに触れることが長時間のセッションをこなしていく支えになるものです。ご協力いただいたスタッフにも感謝しながら、第7回の成果をご報告いたします。


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9時:今日呼ばれたい名前と一緒に簡単に自己紹介し、早速事例(4例)の検討に入る。
提案者がなぜテーマを考えるのに事例がふさわしいか、を事例の詳細を加えながら説明する。【No1、2】

事例1.医師の大義名分として「患者が苦痛の中で過ごすことになる。それは良くない」と言うが本音は手術や処置が面倒ということではないか、との疑念がぬぐい切れない。という提案者の説明に対し、患者の状態は重篤であり提案者が感じた責任感、重圧感は思い過ごしで医師の助言に従った判断は妥当である。この場合は大義名分と言うより建前と本音のケースではないか。

事例2.二つのグループが対立するとき大義名分はそれぞれにあることが分かる。大義は正義のことであり、名分は身分のことである。この場合身分とは属するグループのことであろう。それぞれの大義はそれぞれ理解可能で納得できるものである。

事例3.政府から出された宣言は日常生活では圧倒的な力を持っている。それを大義名分として使っている様子が分かる。大義名分として使われている現場で関係者がどのように受け入れ納得しているかもわかる。同時にこれからコロナが終息した時にどのような展開になるか、考えさせられる。

事例4.
オーディオ好きな人のコミュニティーでは高価だと思われるスピーカーやアンプなどの機材をそろえるのは一般的なことととらえられている。その中でメーカーが製品を推奨する方法として「音楽を愛する人にはわかる・・・」は脅し文句、あるいは上から目線の嫌がらせなのだろう。

10時45分:この事例を検討し、事例3を選んだ。

選ばれた事例3の詳細の記述【No3、4】
事例3提案者に詳細を話してもらい、それを書きとる。そこに参加者からの質問によってさらに詳細が加えられていった。これにより大義名分がどのように使われたが明らかになっていく。大義名分を使う背景、予想される効果、大義名分を使ったことの反応などが加えられていく。

【No3】 ***************
子どもが生まれた二十数年前から、毎年欠かさず【結婚後深く考えず、そうするものだと、集まっていた】 義理の両親【ともに元気で父80歳、母74歳】の家に集まっていました。
【普段の交流は月1回程度で】市内で車で行っていました。私の家族【子どもは娘22歳、弟17歳】と義理の兄【50歳、義姉52歳、子ども3人との大学生、娘22歳、息子20歳、息子18歳】の家族が集まっていた。子どもが小さいときは子ども同士が遊んでいて楽しい【小学生までは近所の公園に行っていたが、やがてゲームをするようになる】が、少し大きくなってくると【10年ほど前からだろうか】大人同士が面と向かって話さなければならない。子どもの学歴の話もしづらい。【話がない。=大人の生活は変画家少ない。旅行の話などはする】
義理の両親も年を取り「時間大丈夫か?」「忙しいんやろ」など、帰るとホッとするような感じがわかるようになってきた。
【本音では、もう集まりたくなくなっていた】

それでも帰り続けていたが、コロナのパンデミックが始まり緊急事態宣言が出されました。【自分では人と会わないほうがいいと思っていた】 そのおかげで自分で集まるのをやめようと積極的に言い出さなくても【夫と集まることについて初めて話した】お互いに集まるのをやめられた。【Win-Winの関係だ。】まわりではあえて外出や集まることを良しとする人たちもいたが、専門家が言っているんだから【大丈夫と言われたらそう思うが、意見が分かれているときは、自分の気持ちにピタッと来る方を取る。行動に続きやすい。ジャーナリズム・マスコミのあおりでそうなるのか、自分で考える】、と堂々と親戚づきあいもなしにできた。【話題を作れる人がいると集まりやすい】
**************

直接、模造紙に書き込んだ以外に提案者の子ども時代の親戚づきあいの様子なども記録された。

12時00分:昼休み
13時00分:中核的判断の抽出【No3→No5】
事例3の詳細から、中核的だと思われる個所を6か所選んだ。

1. 専門家が言っている
2. コロナのパンデミックが始まり緊急事態宣言が出された
3. Win-Winだ
4. 里帰り
5. 子どもが小さいときは子ども同士で遊んでいて楽しい
6. 義理の両親を喜ばせる嫁


【No5】 この6か所を含み、事例の中核的判断と思われる記述を行った。

里帰りを結婚後何の疑いもなく行っていた。コロナパンデミックが始まり、専門家の意見も出され緊急事態宣言が出された。ジャーナリズムやマスコミが煽り、自分で考えることを迫られた。大義名分としての宣言により「しかたない」と思わせられ、個人攻撃をしなくてよく、考えなくてよいシステムとして、パニックが抑えられた。里帰りをしなくても済むようになった。

14時30分:主となる問いを立てる

【No6】中核的判断から主たる問いを立てるために問いの候補を立てる。

1. 大義名分はしかたがないことなのか?
2. 大義名分はどういう時に求められるのか?
3. 大義名分は誰のために役に立っているのか?
4. 大義名分は根拠はあるのか?
5. 大義名分がなければどうなるのか?
6. 大義名分はいつ生まれたのか?
7. 大義名分を使う責任はだれが取るのか?

これらの問いの候補を検討した。

主たる問い:   大義名分の根拠はどこにありその結果はだれが責任を持つのか?


【No6、7、8】
この主たる問いにどう答えることができるだろうか。検討しながら答えの試案を作る。

17時00分:答えを書き上げ、修正を加える
<答えの試案>
大義名分の根拠は善なるものであり、それはムラの原理である。これは共同体の中でのみ通用し、普遍的ではなく、期間も限定的である。
その責任は大義名分が①通用しなくなった時、大義名分の真偽には関係なく、責任を取る必要が生じる。共同体の中で琴が住む場合、その責任はうやむやになる。/しかし外部との交渉がある場合は②大義名分が失敗したことについての責任を取る者を生贄として差し出す③。

出来上がった答えを事例に戻って検証し、修正を加える。
1. 共同体づくりに失敗することを含み を①に挿入する
2. 新たな大義名分を使うか を②に挿入する
3. 「事もある」 を③に加える。

<修正後の答え>
大義名分の根拠は善なるものであり、それはムラの原理である。これは共同体の中でのみ通用し、普遍的ではなく、期間も限定的である。
その責任は大義名分が共同体づくりに失敗することを含み通用しなくなった時、大義名分の真偽には関係なく、責任を取る必要が生じる。共同体の中で事が済む場合、その責任はうやむやになる。/しかし外部との交渉がある場合は新たな大義名分を使うか、大義名分が失敗したことについての責任を取る者を生贄として差し出す事もある。

答えのポイント
① 大義名分の根拠は善である
② 共同体の中でのみ通用する
③ 普遍的ではなく、期間も限定的である
④ 大義名分が通らなくなった時、責任問題が起こる
⑤ しかし、共同体の中で事が済む場合、その責任はあいまいになる
⑥ 外部との交渉がある場合のみ、責任を取る必要がある
⑦ その場合、新たな大義名分を持ち出すか
⑧ 責任を取る者を生贄として差し出す


18時15分:答えの妥当性の検証
答えを事例に戻して答えの妥当性を検証する。今回は事例に戻る前にウクライナ情勢に当てはめて考えた。

ウクライナ・ロシア双方にそれぞれの戦争する大義名分がある ① 。それは互いに相容れず、各国内でしか通用しない ② 。
もし、戦争が勝敗という形で決着した場合 ④ 、ウクライナが負ければロシアから責任を取ること=責任者を差し出すことを求められるだろう ⑥、⑧ 。しかしウクライナの大義名分がなくなるとは限らない ② 。またロシアの大義名分は維持されたままであり ② 、ウクライナの負けと責任者を差出したことでは戦争が終結しない可能性がある。

ロシアが負ければプーチン大統領が政権を放棄する形で責任を取ることになる ⑥、⑧ 。しかしウクライナの領土への触手が収まらない場合がある。それは大義名分が残っていて ② 、それがなくならない限りロシアの再侵攻はあり得る。
大義名分から考えると、勝敗を決することは戦争の終結を意味しない。特にウクライナが負けた場合、第3次世界大戦への拡大もあり得る事態となる。

戦争が停戦または休戦となった場合、各国での大義名分は維持されたままである ④ 。それぞれの国での責任はあいまいになる ⑤ 。外部の国からの干渉が大きくなければその状態が維持される可能性が高い。もし、外部からの干渉が強くなった場合 ⑥ 停戦や休戦がたやすく破られることになる。

つぎに選ばれた事例3に戻して検証する。

パンデミックにあって国の宣言は国民にとって絶対的なものである ① 。一方、国が違えば対応にかなりの差があり、やり方やタイミングなど各国の事情が反映している ② 。
それが上手くいったかどうか、他国との関連が強くなければ干渉されることはない ⑤ 。すると、国内で大義名分が上手くいったかどうか、その責任はうやむやになるであろう。
一方、親族の共同体にあって親族が集まることをやめる理由として国の宣言は大義名分として機能した ① 。しかし他の家族にとっては国の宣言を大義名分として同様の行動をとるかどうかは決まらない ② 。
宣言を大義名分として使った共同体の内部では、それが通用しなくなった場合でも責任を追及されることはない ⑤ 。しかし、他の家族から親族が集まらないことを指摘されたとしたら、親族の誰かが説明する役目を負うことになるだろう ⑥、⑧ 。

最後に選ばれなかった3つの例に戻して検証する。1,2については答えが妥当すると考えられたが、4については共同体ではなく、個人のことである点が上手く妥当しなかった。

19時30分 終了

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ウクライナ情勢は参加者が気にしていることは、セッションの進む中でちらちらと言及されることでわかっていました。「大義名分とは何か」の答えが出たとき、ウクライナ情勢に充てて考えてみたい、どうなるのだろうと興味がわきました。

結果は、もちろん実際の情勢を吟味したものではないので妥当性は確保できないと思います。あくまで「大義名分」が戦争においてどうやら不可欠なもののようである、という点から見てみた結果です。
他国のしかも戦争と言う極限の状態は言及がしにくいものです。今回、大義名分とはこのようなものである、と言う知見を持ち、その切り口から見るという行為を始めて行いました。
参加者と一緒に考えた知見がどのように機能するのか、鮮やかにみえてくるものがありました。

さて、次回は大テーマに戻ります。
「戦争を放棄するとはどういうことか」 ぜひ、ご参加くださいませ。
No1
No4
No2
No3
No5
No6
No7
No8
No9
  1. 2023/03/21(火) 17:36:43|
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