以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

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0180519 eカフェ開催報告

【あまがさき哲学カフェ】 eカフェ「Home Education」
日時:2018年5月13日14時~16時 
会場:アイデアル英会話教室


雨の激しい中、5名にお集まりいただきました。みなさまありがとうございました。
「Home Education」に含まれている意味の多様性にビックリする展開になりました。

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◆学習
・家庭学習と聞くと独学と言う言葉を思い出します。誰かに教えてもらうのではなく自分で学んでいくイメージがあります。
・家庭学習に対して公教育(Public Education)があると思います。学校教育では子どもを集める。他の子どもと一緒に何事かを行うことそのものに意味があるように思います。勉強以外にもクラブ活動などを一緒に行う事に教育的な意義があるのでしょう。
・学校教育を考える上でコントロール(管理)はどうなっているのでしょう。何のためにコントロールするのでしょうか。
・コントロールは学校教育の現場が実社会のシミュレーションの役割を果たすために必要とされていると思います。

◆家庭学習は存在するか?
・そもそもHome Educationとは西欧の伝統的な貴族社会において家庭教師などを雇い入れて行う教育を言うのでしょう。メリーポピンズの世界のイメージでしょうか。
・対してPublic Educationとは子どもたちが“反社会的または社会の重荷”にならないように近代に入ってから行われた教育が始めでしょう。
・Public Schoolで行った教育の結果、社会的コストの増加を抑えることができたと言う実績から教育が社会の中で重要視されるようになってきたが、上流社会の教育は基本的に変わることがなかったのでしょう。
・日本の学校教育は明治維新後近代化を急いだ政府が近代社会の担い手を早急に育てる必要から生まれたものでしょう。その意味では画一的であり平等だったともいえるかもしれません。
・現在の日本では教育の対象者が分離しつつあるという事のようです。“反社会的または社会の重荷”にならない教育、知識を教える教育、その他の教育と言う具合でしょうか。
・その意味で日本ではHome Education に相当するものは存在しないようです。


◆家庭で行う教育とは?
・学校教育は知識を教えるものだと思います。
・家庭では社会で生きていくための振舞いや社会人としての常識を教えるのではないでしょうか。
・家庭でそれらを教えられなくなって学校教育に求められるものが多くなってきています。
・School Education、Social Education、Family Educationの3種類が考えられます。
・なぜ、家庭でそれらが教えられなくなってのでしょうか。
・共働きが増える一方、核家族化が進みかつ子育てに参加する他人、大人がいなくなったことが子どもに大人の生き方を示す機会が無くなり、結果社会での生き方を教える機会が無くなったのではないでしょうか。
・家庭教育とは大人の生きる姿を見せることではないかと思います。

◆何を教える?
・子どもたちが大人になって困らないために必要なことは、コミュニケーションの仕方を身につけることだと思います。
・レゴを使ったロボティックスを教えるプログラムを開発した方が、非常に評判が良いので普及するだろう、と思ったところが実際には「いいね!」と言う人は多いが、実際に導入して子どもに教えようとする人はほとんどいない、と言う現実に大変戸惑われたと言うことを聞きました。
・何を教えるか、何を教えないか、と言う判断ができなくなっているのではないでしょうか。そのため色々なバックグランドがある個々のケースに対応することができず、Public Schoolは機能しなくなったように思います。

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学習、教育と言う身近な語られてきた問題ですが改めていろいろな考え方、切り口があることが分かりました。
やり取りを通して感じたことは、「子どもをどうするか」と言う大問題が意外に掘り下げられていないのではないか、と言う疑問でした。

一方では社会的地位の獲得の手段として一見学校が機能しているかのように見える。他方では自己責任と言う言葉で生徒と教師両方共が諦めてしまう。その状況に気が付いていてもなすすべを持っていない大人たち。

もうそろそろしっかりと目を覚まして取り組まなくてはいけないのではないでしょうか。

さて、次回6月10日(日)のテーマは「Collection」です。
個人的には何かを集める、と言う趣味は持っていませんが人はいったいなぜ、コレクションをするのでしょうか。

eカフェは英語と日本語で行う哲学カフェです。
英語、日本語いづれかをお話しいただけるよう、通訳しますので安心してご参加ください。
参加費は無料です。


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  1. 2018/05/19(土) 00:46:40|
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0180416哲学カフェ@武庫公民館「きれいごと」開催報告

【あまがさき哲学カフェ】

哲学カフェ@武庫公民館終了しました。12名にご参加いただきました。みなさまありがとうございました。

今日のテーマは「きれいごと」。発言が活発でした。行きつ戻りつしながら「きれいごと」をいくつもの側面を吟味できたと思います。

楽しいには楽しいこと、面白いには面白いこと、があるが、きれいは「きれいごと」となってしまうところに気が付いた方からのご発言から始まりました。

◆建て前
きれいごとは建て前である。体面を整えるばかりで見せかけだ。しかし建て前ならば本音と対になっていて使い分けることができるのに、きれいごとには「対」がなくて使い分けられない。

建て前を言う時はほかの人から悪く言われたくなくて、ただ一生懸命に「正しいこと」や規則に則っていることばかりを言う。すると私には悪気などないのに「きれいごとを言う」と言われる。
そのような時は自分がないのでしょうね。嫌われたくないと一生懸命になっている。

◆感情
きれいごととは、嫌いな人や知らない人の言うことを聞きたくないと言う感情なのではないでしょか? 同じ事を聞いてもきれいごとにしてしまい、聞かないと言うことではないでしょうか。

「怒りたて」「困りたて」の人は腹を立てて怒る事をしたいので、怒りやすい、非難しやすいように、「きれいごと」を作る。そうして自分の感情を解放しているのかもしれません。

本当は、相手の意見が正論とわかっていて、しかし認めたくない時にそれをはぐらかすために相手の意見をきれいごとだと、言う。あるいは、相手の言うことが半分は当たっている、と感じた時に相手に対する嫉妬心から「そんなきれいごと言うな」というのではないか。


◆当事者
きれいごとは、当事者ではない人が当事者の事情を単純化、理想化していることを、当事者からみると、「きれいごと」に見えるということではないか。外部から単純化理想化されることに対する反発なのではないか。

当事者の何事かに善悪などの別の価値を第三者が加えてしまうことが「きれいごとを言う」ということではないか。

患者と医者の関係で、患者側が医者の説明に対して「きれいごと」だな、と感じることがあるようです。客観的なデータに基づいた診断や説明であってもそれが患者の苦しさや痛さやもどかしさには届くものではないことはよく起こるようです。すると、患者は「きれいごとを言っている」と思う。当事者から相手には伝わらない「体験」があり、そもそも相手がいることがあって、その相手を却下したくなる、特別扱いされたくない、というような感情が動くからではないでしょうか。

しかし、その逆に医者は真剣に本気で診断をし、説明をしている。つまりきれいごとではないのでしょう。

◆きれいごとを言う人、きれいごとになると言うこと
一般的な言葉(一般語)で一般的な意見を言う人の言うことはすぐ、「きれいごと」になる。個人語(オリジナルな意見)を語る人の言葉はきれいごとにはなりにくいのではないでしょうか。
達成不可能なことがあり何かを犠牲にしないとできないばあい、「きれいごとばっかり」と言っていると、その言葉に束縛されたようになると思います。

◆きれいごとをなくす?
ポリティカルコレクトネスなどで問題になることにはきれいごとを言っていると思われることが多い。例えば「表現の自由」はきれいごとではないでしょうか。

しかし、表現の自由が実現できればきれいごとではないのではないか。最後まで話が聞ければ、きれいごとのように聞こえていてもその話には根拠があるハズだし、勝手にきれいごとと断定しているだけかもしれない、と分かることもあるのではないでしょうか。

相手の発言をきれいごと、と言い切ってしまうのは何度聞いても理解できないためにもう聞きたくない、と思った時ではないか。意図が通じないと聞く側が思考停止に陥って、それ以上聞くことは「無駄であり、もう飽きた、どうせわからない」と認定しているのではないか。

患者の訴えに対する医療の齟齬は、将来、A.I.によって診断ができれば起きないのだろうか。A.I.の診断にはきれいごとは含まれないだろうか。
患者は自分に沿った答えが欲しい。医療とは治療なのかサービスとしての思いやりなのだろうか。患者は権威ある医者から事をおおげさに言われて、それで満足することがあるとすると医者は何を忖度しているのだろうか。医者は相談相手なのだろうか。

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今回のテーマは思っていたよりも掘れるテーマだったようです。きれいごととは感情ではないか、と切り込んでいただいたおかげで皆様のご発言に弾みがついたように感じました。

きれいごとこそ、突っ込んで考えていく突破口なのだと感じさせるご意見が出てきました。きれいごとだと切って捨てていることは裏返せばまだ考え切ってはいない、という事のようです。まだ手付かずのところを掘り返していくことの可能性があることの確かさを感じさせてもらいました。

次回は5月20日(日)14時~16時 テーマは「世間」です。

哲学カフェ@武庫公民館は、どなたでもご参加いただけます。
会場:尼崎市立武庫公民館。
予約不要。途中参加退場自由。
参加費:300円。

皆様のお越しをお待ちしています。
  1. 2018/04/16(月) 23:05:36|
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0171211【あまがさき哲学カフェ】2017年テーマ一覧

【あまがさき哲学カフェ】2017年度のテーマ一覧

今年もたくさんの方々にご参加いただきました。初めて来ていただいた方もたくさんいらっしゃいます。
お越しいただいたすべての皆様に御礼申し上げます。

今年、嬉しかったことは進行役が増えたことです。
【あまがさき哲学カフェ】にお越しの中から7名の方に進行役をしていただけるようになりました。

すでにご自分の哲学カフェを始められた方や、これから開催されようとしておられる方もいらっしゃいます。
5年前に始めた時の一つの目標が進行役を増やすこと(5名)だったので、ようやく実現することとなりました。

これから【あまがさき哲学カフェ】は哲学カフェにご参加頂くみなさまと楽しい時間を過ごすだけではなく、進行役の皆様との切磋琢磨しあう場所になって行けばよいと考えています。

私事ながら、来年は一般社団法人【office ひと房の葡萄】として、学習支援などの事業と一緒に活動していきます。ささやかな活動ですが、尼崎にある哲学カフェはまだまだ続きます。どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

寒さが続きます。ご自愛ください。                      一般社団法人 office ひと房の葡萄 代表理事 赤井郁夫


0171210 2017テーマ一覧
  1. 2017/12/11(月) 10:47:12|
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