哲学ウォーク@尾道2017
日時:平成29年5月4日(木)13時~16時 場所:Antenna Coffee House
参加:10名
連休の真ん中の4日、久し振りに哲学対話イベントに参加してきました。今回のイベントは「哲学ウォーク」、哲学散歩とも言われています。カフェフィロが以前京都などで行っていたのですが参加したことがありませんでした。
尾道は行ったことがないし用事のない日だったので思い切って行ってきました。いい天気に恵まれてよかったです。
会場のAntenna Coffee HouseさんはJR尾道駅の東、徒歩7分ぐらいのところにあります。進行の松川さんに迎えていただき、参加費を主催の山口さんにお支払いして先に来られた方に挨拶してしばし待ちます。
時間までに集まった8名がくじを引きます。くじは大きながま口に入っています。なるほど、運ぶのに便利だし口が大きく開くから引きやすい。松川さんは迷っています、と言いながら引いたくじを読んでいる参加者に向かって今日の手順などを話しかけます。
くじには哲学者などの言葉が書いてあります。これは自分だけが確認して他の人には知らせないことになっています。私が引いたのはこれです。
『運命は受け入れるべきものではない。自ら選び創り出すものだ。 セネカ』
ほかの人に見られないように、くじを半折にして覗き込む。
直ぐに「そうかなぁ?」と思ったのは、どんな言葉でもとりあえず「そうかな」と思ってしまう癖のせいで深く考えたり閃いたりしたからではありません。
さて、松川さんは何を迷っているのか。
今回の参加者は哲学ウォークが初めてでも哲学カフェなどの哲学的対話イベントに参加した経験者ばかりだそうです。そこでつぎのようなやりかたをすることになりました。
くじに書いてある言葉をしっかり思いながら、全員で散歩に出ます。全員が同じ道を同じペースで、黙ったまま歩きます。・・・この辺りは異様です。観光地を黙って歩く集団ですから。よく風景や周りを見て歩いて、くじに書いてある言葉にピッタリ!と思った人は、「はい!」と手を挙げ、参加者を集めます。
すると、松川さんが手を挙げた参加者に問いかけます。
「あなたのくじに書いてある言葉を紹介してください。」
くじに書いてある言葉を披露します。外なので声が通りにくいこともありますので、しっかりと声に出して紹介することが肝要です。
次に松川さんが
「あなたのコンセプトは何ですか?」と聞きます。
当該の参加者は自分のコンセプトを発表します・・・ここが松川さんが迷われていた点でした。この場合のコンセプトとは、くじの言葉、選んだ場所、自分の考えた事を統一的にとらえる言葉、と言うことでしょうか。
私のコンセプトは「二律背反」です。でもこのコンセプトがスルスルと出て来たのではありません。私はどうしていいのかわからないので、とりあえずくじの言葉から感じた事やこの場所の感想や選んだ理由を話しました。すると松川さんが「それをコンセプトにすると何ですか」とか「短く言ってみて」とか「もっと、一言で言ってみて」と、手伝ってもらってやっと出てきました。
参加者が哲学的対話イベントに初めての人が多いと、この辺りが大変かもしれません。私は二番目に手を挙げました。一番目の方の「コンセプト」の出し方や松川さんが手伝う様子を見ていたのですが、いざ自分の番になるとそう簡単ではありませんでした。
松川さんによると、コンセプトを使わずに、次の「なぜこの場所がぴったりだと思ったのか」を詳しく説明してもらうことでもよいようです。
コンセプトの次はこの場所がなぜ、ぴったりだと思ったのかを発表します。私は次のようなことを説明しました。
「こんな急な斜面に住むのは不便。車も通らない路地のような坂道しかないここに住むのは、運命と言うよりやはり選んでいるのだろう。しかしより平坦な場所が全くないわけでもないので、ここに住むしかないと言う事情があったのだろうか。その中で工夫して住んでいるのだろう。運命のような、選んでいるような両方が混ぜこじゃになったような場所なのではないか、と思い選びました。」
次に松川さんが他の参加者全員からひとつづつ、私に対して質問をさせます。この質問もなかなか出てこない。松川さんが「どうですか」とか「頑張って」とか促しながらみんなに質問をさせます。
私が手を挙げて発表している最中におひとり遅れて合流された方がいました。そのため、質問は8名の方がなさいました。その中から、私は一つ選びます。選んだ質問に対する答えを哲学ウォークが終了するまで、一人で歩きながら考え続けます。あとの質問は忘れました。
私の選んだ質問は「住むことは運命か」でした。
割と早めに手を挙げたので、あとは自分の選んだ問いを考えることと他の方のコンセプトを聴き、質問をすることを繰り返しました。最終的に参加者は10名となったので9回繰り返しました。
1時間半程度のウォークでしたが、参加者の皆さんの手がなかなか挙がらないので松川さんはルートを変更して余分に歩いたそうです。
途中、色々な場所で手を挙げた人のもとに集まります。広い場所が少ないので他の観光客の方の邪魔にならないように壁に張り付くようにして話をきき、質問をします。
11名が集まって立っていると目立ちます。傍を通る人々が横目で見ていきます。結構怪しい集団になっています。
散歩をするには景色がどんどん変化していく尾道の街は最適です。手を挙げるまで、私は周囲の風景にかなりの関心を向け注意して見ていました。崩れそうな石垣や、落ちそうな岩、割れ目に咲いた小さな花に目が行きます。手すりまで整備された階段は昔、どんな様子だったのかと想像しました。坂の上から見る尾道の穏やかな海の見える景色は明るく優しく、和ませてくれます。志賀直哉旧宅とか、林芙美子の像も興味を引きます。
しかし質問を考える段階に進むと、むしろ周囲の風景に気を配るより気になった場所、モノをじっと観察する、と言う風に変わったようです。私の場合は、なぜこの家の人はここに住んでいるのか。を考えていたようです。不便な所でもそこに住むのがステータスなのかもしれません。新しい家はほぼありません。古くてもしっかりしたつくりの家があります。そのすぐ横に粗末とも思える家があります。そこに住まざるを得ない事情があったのかもしれません。運命は受け入れるべきものでしょうか。歯向かうべきなのでしょうか。
私は結婚してから今まで13回引越しをしました。生涯では18回です。生まれることは住み始める最初ですが、これは選べません。結婚後の引っ越しは確かに選びましたが、選択肢はあまりなかったように思います。阪神大震災の後などここしかない、と不動産屋さんに言われたこともありました。
このように質問を考えながらも、ほかの方の「その場所を選んだ理由」を聴くのは面白い。くじの言葉と全く関係がないと感じた場所や理由はありませんでした。何かしらなるほど、と思って他の方のコンセプトや選んだ理由を聴き、質問をしていきました。
途中、休憩した場所で家と家の間から空を眺めると上弦の半月が浮かんでいます。良い景色です。くらげは海月と書きます。海月と空月かなどと考えるのも楽しい。
リーゼントと言うヘアスタイル発祥の地が尾道だという事を知ったのは9番目の方が手を挙げた場所でした。尾道の商店街のなんということはない散髪屋さん。ここが尾道の高校生がリーゼントにするために通い詰めたと散髪屋さんだそうです。二昔、いや三昔前の尾道は今とはずいぶん違った印象だったようです。
この哲学ウォークではどこで手を挙げるか、が重要です。もっとふさわしい場所があるのでは、と思っているといつまでもその場所に出会わなかったりします。しかし逆に一旦手を挙げてしまえば、そこからは取り組む内容が変わるので、もっとこっちのほうが良かったと思うことは少ないように思います。
さて、散歩から帰って来ると、マスターに飲み物を注文して一休みします。その後、手を挙げた順に選んだ質問に対する答えを披露していきます。
わたしへの質問は「住むことは運命か」でした。答えは、
「住むことは、運命です。」
松川さんが、「おおっ」と受けてくれます。そこで私が続けます。
「住むことって選んでいるのは確かですが、思っているほど色々な中から選べるものではありません。坂道の多い町に住むことを選んだ人も、長い間に坂道の多い街に慣れ、工夫して住むことになると思います。
コンセプトは二律背反です。セネカが運命は受け入れるべきではない・・・と言うのは受け入れるだけで終わってしまうように思われる運命は、実はその後の活動で選んでも行ける。そのことを気付かせるために、あるいは強調するために言ったのではないかと思います。」
皆さんの発表を聴き、私はハートランドビールでいい気分になって終わりました。
いい休日の過ごし方でした。
松川さん、お世話になりました。ありがとうございました。ご一緒させていただいた皆様、楽しい時間をありがとうございました。
以上
P.S.「ひとり哲学散歩」は可能だと思います。
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- 2017/05/07(日) 20:49:09|
- こんな哲学カフェに行ってきました
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アート哲学カフェin大津
日時:2014(H26)2月23日15:00-17:00
場所:ギャルリーオー(大津市) ~彫刻(信ヶ原良和)とともに~冬晴れの日の午後、徐々に冷え込んでいく気温を感じながらアート哲学カフェに行ってきました。私には初めてのアート+哲学カフェでした。アートを前にどうすればいいのか、戸惑いながらの2時間でした。
◆はじまり
まず、作品を観なくてはならない。
そう思って会場に足を運ぶ。予想外の光景に少しの戸惑いがさざ波のように訪れる。
さざ波が去った後の束の間の平穏、そして哲学カフェが始まる。
始めのうちは感想を述べ合う。アート哲学カフェの不思議なところは自分の感じたことを研ぎ澄ませようとすること。他人の意見は、自分の感じたことを突き詰めようとさせてくれる応援歌みたいなものとなっている。
フロアに敷き詰められた円盤状の金属板。色合いから明らかに銅板と思われるものは小さく、ほんの少し混ざっている。
大半はシルバーに輝きはするがぼこぼこに叩かれた円盤。薄い板金。大きくても手のひらを開いたほどの大きさ。
円盤の一か所に切り込みがあり、それがホールのチーズケーキから初めの一切れを切り取ったように開いている。
その開いたところをすぼめるように円盤はごく浅い漏斗状になって、それが置かれている床に立体感をもたらしている。
◆造形
本物の睡蓮の葉は、切れ目はあるが立体的になるわけではない。必要がないからだ。
なぜ、この池の葉っぱは立体的にならなくてはいけないのかしら。主張したい、声を上げたいことが葉っぱにはあるようだ。
それが直径3mほどの円形に敷き詰められ、数か所にハスの実のようなものが立ち上がり、浮かんでいる。
ここは小さな池。ハスの葉っぱが占拠してしまい、水面が見えなくなった池。そこにハスの実を抱えているであろう台(うてな)と、大きな水草の葉が水面から立ち上がっている風景。
水が見えないはずなのに、ハスの葉っぱの叩かれた凹凸が水を想わせる。ハスの花ではなくて実を抱えた台が、その上面は一枚の板金であって、それは叩かれていない。
叩かれていはしないが、大きくひずんでいてそれが別の水面を想わせる。
金属板で植物を作る。色はない。金属板の表面の色はない。叩かれてぼこぼこになっていることで植物になってしまっている。強くそれを拒絶している自分を感じる。
何を拒絶したいのだろう。実物ではなく、このフロアに出現した池をか。池を出現させてしまったことをか。違和感は続く。
この違和感が消えるところを探すかのように作品を見ていると、とても穏やかな、それを見ているととてもなごむものが目に留まった。
それは池の面からほんの十センチほど立ち上がったところにある台であった。しっかりと重みをもった台のその上面はなだらかにひずんで照明の光を受けずに暗く静かにそっと佇んでいた。
◆ハスの葉の上、台(うてな)の平和
台の上面に水面があった。ハスの葉っぱに覆われて見えない池の水面がハスの台に現れている。金属の植物に違和感を与えていたハスの葉のあいだにひっそりと佇む台の確かさがあった。
叩かれた板金の表面が照明をはじいて”輝く”嘘っぽさの中に静かな台の確かさがあるようだ。
私が付けるこの作品の題名は「蓮の水面」である。
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2時間、一つの作品の前に留まって他の人の印象や話を聞いている体験は少々つらい、と感じました。
目の前の作品に気圧されていました。作品に違和感を持ち、作品に拒絶され、私は立ち去れと言われていたような居心地の悪さがかすかですが、確実にあったように思います。
私には現場から去った後に哲学カフェのあの場をもう一度再構成する作業が必要です。そうすることであの違和感がなんだったのか、本当は何を感じていたのかが感じられるようです。
もし、私があの作品に何かを添えるなら、小さなアマガエルを数匹添えたいと思いました。
END
- 2014/02/23(日) 21:46:33|
- こんな哲学カフェに行ってきました
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2013(H25)年12月14日(土)、日差しはあるもののとても冷たい風の吹く日に、哲学カフェで知り合ったIさんに誘われ、「釜ヶ崎を歩く会」に参加してきました。
哲学カフェではありませんが、たくさんのことを考えた約6時間に及ぶ町歩きでした。6か所の施設を案内して頂き、貴重なお話をたくさん伺うことが出来ました。
今回の街歩きの案内をしていただきたのはNPO法人「こえとこころとことばの部屋」代表の上田假奈代さんでした。
上田さんは10年以上も釜ヶ崎の地で「表現する」ことについて発信をしてこられました。
参加者は私を含めて4名。上田さんの案内で街を歩きながら話を伺い、各施設では責任者の方々にお話を伺いました。一番印象に残ったのは「居場所」という言葉が頻繁に出てきたことでした。労働者の居場所(もちろん、釜ヶ崎ですから)高齢者の居場所(労働者も高齢化しています)、依存症者の居場所(アルコール依存症は釜ヶ崎でも深刻です)、子供の居場所(釜ヶ崎周辺には母子家庭が多い)、障碍者の居場所(この地域では最も弱い立場にあります)とその在り方やそれを作り出している現場を巡ってきました。
居場所とはなんでしょうか。
私の「居場所」は会社の事務机の前や食卓の決まった席、そして自室。でもそれだけではないように思います。学校の同級生と会う場所、親戚と会う場所、哲学カフェなども居場所に入るように思います。インターネットで繋がっている人たちとも居場所を共有しているように思います。
一昨年までの4年間、朝5時半過ぎの電車で通勤する生活をしていました。冬場になるとぽつりと浮浪者が乗っていました。始発から通勤ラッシュが始まるまでの間、暖をとりながら寝ているようでした。彼にとってはここも大事な居場所でしょうか。
居場所はどうやって見つけるのでしょう。仕事がなくなり路上に出ざるを得なくなったら自分で居場所を見つけられるだろうか?いや、たぶん居る場所が居場所になるしかないように思います。
6か所を案内して頂きながら、行政の施策が期待された成果をあげられない、あるいは一時的なものに終わってしまう背景に、「居場所」への配慮や理解の有無が関わっているように思いました。
依存症の施設の方がおっしゃっていた「当事者が必要とすることを行うことが福祉である。」と言うのは、シンプルですが多くの事柄を掬い取る力があると思います。
私は行政について詳しいことを知らないのですが、なぜ「居場所」への理解がないのでしょうか。人はパンのみにて生くるものに非ずと言いますが、パンさえ与えれば黙っているだろう、いや黙っておけ。…これは、差別意識そのものではないかと思いました。
私は工事業を営む会社に勤務しています。現場に出ていた期間は短いのですが、建築工事はたくさんの手元工を使うので日雇い労働者とも接点を持っていました。「労働者の矜持」という言葉を聞いたとき、とても嬉しく感じました。
シェルターに入らざるを得ない困窮者であっても生活保護を受けようはしない人について、「さんざん働いてきたんだから、生活保護に頼ったっていいんだ」と私も思います。同時に彼らの矜持に敬意を表して困窮者というくくりでしか対応しないことは間違いであると強く思います。
「作られた街」釜ヶ崎は元祖、派遣村なのだと思いました。建設工事には工期があります。現場が移り変わる仕事に従事するリスクは今も昔も同じです。昨今派遣事業において問題とされていることは、昔からここにずっとあり続けています。
このようなリスクのある事業に従事する人々のリスクを軽減する措置が考慮されるべきなのは、国策として当然だと思います。彼らが居なければ建設会社は立ち行かず、多くの現場が成り立たないからです。
最後に切ない言葉を聞きました。「世帯分離」、生活保護を受けている母子家庭で子が18歳になって働き始めると、子の収入分が生活保護費から控除されます。すると子は自動的に親を扶養することとなり、これでは子は将来に備えることは到底できません。まして進学を目指す子にとっては重圧です。これを回避するため、親子を別世帯として扱うようにすることを言います。
これが問答無用の処置であると聞いただけでわかります。それが最善の処置であり、それによって将来を開かれていく子どもたちのことは切ないです。「頑張れ、何もかもほっておいていいから頑張れ」と、訳が分かりませんがそう思いました。
私の周りに声を上げられずにいる子どもはいないでしょうか、気になってそわそわしています。私にはそれが見えません。私の周りには山王こどもセンターのように子どもたちを見ている人たちはいるのでしょうか。
幼稚園や保育所に子どもを通わせていたのは10年前でした。そのころ、時々事件があることを耳にしていました。ところが、子どもが大きくなるとそのようなことも耳にしなくなりました。でも今でもきっと声を出せない子どもがいます。いるのに気づかない。
これはどういうことでしょうか。
「釜ヶ崎を歩く会」に参加し、お話を伺った方々のお話から考えたことは、「当事者が必要とすることを行う、当事者のニーズに徹底的に寄り添おう、そうすることが人間の尊厳を守り抜く唯一の方法である」、と語っておられたのではないかと思います。
- 2014/01/03(金) 01:57:46|
- こんな哲学カフェに行ってきました
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