以心伝心心~あまがさき哲学カフェ~

哲学カフェに行ってみませんか。 お茶を飲みながら他の人の話を聞いてみる。結論は求めません。カフェで賑やかに話せればいいですね。

0170521 あまがさき哲学カフェ 6月の予定

【あまがさき哲学カフェ】 6月の予定

2日(金) 19時~21時  園田哲学バー「かみ合う、かみ合わない」
11日(日)14時~16時  eカフェ     「What is an elegance?」
17日(土)14時~16時  むこのそう哲学カフェ 「わからないとはどういうことか」
18日(日)14時~16時  哲学カフェ@武庫公民館 「尊重」
20日(火)18時45分~21時  喫茶去短歌会 「道」
25日(日)13時30分~17時  シネマ哲学カフェ





01706ポスター
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  1. 2017/05/21(日) 23:19:42|
  2. あまがさき哲学カフェの予定、案内
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0170504 哲学ウォーク@尾道2017 参加報告

哲学ウォーク@尾道2017
日時:平成29年5月4日(木)13時~16時 場所:Antenna Coffee House
参加:10名

連休の真ん中の4日、久し振りに哲学対話イベントに参加してきました。今回のイベントは「哲学ウォーク」、哲学散歩とも言われています。カフェフィロが以前京都などで行っていたのですが参加したことがありませんでした。
尾道は行ったことがないし用事のない日だったので思い切って行ってきました。いい天気に恵まれてよかったです。

会場のAntenna Coffee HouseさんはJR尾道駅の東、徒歩7分ぐらいのところにあります。進行の松川さんに迎えていただき、参加費を主催の山口さんにお支払いして先に来られた方に挨拶してしばし待ちます。
時間までに集まった8名がくじを引きます。くじは大きながま口に入っています。なるほど、運ぶのに便利だし口が大きく開くから引きやすい。松川さんは迷っています、と言いながら引いたくじを読んでいる参加者に向かって今日の手順などを話しかけます。

くじには哲学者などの言葉が書いてあります。これは自分だけが確認して他の人には知らせないことになっています。私が引いたのはこれです。

『運命は受け入れるべきものではない。自ら選び創り出すものだ。 セネカ』

ほかの人に見られないように、くじを半折にして覗き込む。
直ぐに「そうかなぁ?」と思ったのは、どんな言葉でもとりあえず「そうかな」と思ってしまう癖のせいで深く考えたり閃いたりしたからではありません。

さて、松川さんは何を迷っているのか。
今回の参加者は哲学ウォークが初めてでも哲学カフェなどの哲学的対話イベントに参加した経験者ばかりだそうです。そこでつぎのようなやりかたをすることになりました。

くじに書いてある言葉をしっかり思いながら、全員で散歩に出ます。全員が同じ道を同じペースで、黙ったまま歩きます。・・・この辺りは異様です。観光地を黙って歩く集団ですから。よく風景や周りを見て歩いて、くじに書いてある言葉にピッタリ!と思った人は、「はい!」と手を挙げ、参加者を集めます。
すると、松川さんが手を挙げた参加者に問いかけます。
「あなたのくじに書いてある言葉を紹介してください。」
くじに書いてある言葉を披露します。外なので声が通りにくいこともありますので、しっかりと声に出して紹介することが肝要です。

次に松川さんが
「あなたのコンセプトは何ですか?」と聞きます。
当該の参加者は自分のコンセプトを発表します・・・ここが松川さんが迷われていた点でした。この場合のコンセプトとは、くじの言葉、選んだ場所、自分の考えた事を統一的にとらえる言葉、と言うことでしょうか。

私のコンセプトは「二律背反」です。でもこのコンセプトがスルスルと出て来たのではありません。私はどうしていいのかわからないので、とりあえずくじの言葉から感じた事やこの場所の感想や選んだ理由を話しました。すると松川さんが「それをコンセプトにすると何ですか」とか「短く言ってみて」とか「もっと、一言で言ってみて」と、手伝ってもらってやっと出てきました。

参加者が哲学的対話イベントに初めての人が多いと、この辺りが大変かもしれません。私は二番目に手を挙げました。一番目の方の「コンセプト」の出し方や松川さんが手伝う様子を見ていたのですが、いざ自分の番になるとそう簡単ではありませんでした。
松川さんによると、コンセプトを使わずに、次の「なぜこの場所がぴったりだと思ったのか」を詳しく説明してもらうことでもよいようです。

コンセプトの次はこの場所がなぜ、ぴったりだと思ったのかを発表します。私は次のようなことを説明しました。
「こんな急な斜面に住むのは不便。車も通らない路地のような坂道しかないここに住むのは、運命と言うよりやはり選んでいるのだろう。しかしより平坦な場所が全くないわけでもないので、ここに住むしかないと言う事情があったのだろうか。その中で工夫して住んでいるのだろう。運命のような、選んでいるような両方が混ぜこじゃになったような場所なのではないか、と思い選びました。」

次に松川さんが他の参加者全員からひとつづつ、私に対して質問をさせます。この質問もなかなか出てこない。松川さんが「どうですか」とか「頑張って」とか促しながらみんなに質問をさせます。

私が手を挙げて発表している最中におひとり遅れて合流された方がいました。そのため、質問は8名の方がなさいました。その中から、私は一つ選びます。選んだ質問に対する答えを哲学ウォークが終了するまで、一人で歩きながら考え続けます。あとの質問は忘れました。
私の選んだ質問は「住むことは運命か」でした。

割と早めに手を挙げたので、あとは自分の選んだ問いを考えることと他の方のコンセプトを聴き、質問をすることを繰り返しました。最終的に参加者は10名となったので9回繰り返しました。

1時間半程度のウォークでしたが、参加者の皆さんの手がなかなか挙がらないので松川さんはルートを変更して余分に歩いたそうです。
途中、色々な場所で手を挙げた人のもとに集まります。広い場所が少ないので他の観光客の方の邪魔にならないように壁に張り付くようにして話をきき、質問をします。
11名が集まって立っていると目立ちます。傍を通る人々が横目で見ていきます。結構怪しい集団になっています。

散歩をするには景色がどんどん変化していく尾道の街は最適です。手を挙げるまで、私は周囲の風景にかなりの関心を向け注意して見ていました。崩れそうな石垣や、落ちそうな岩、割れ目に咲いた小さな花に目が行きます。手すりまで整備された階段は昔、どんな様子だったのかと想像しました。坂の上から見る尾道の穏やかな海の見える景色は明るく優しく、和ませてくれます。志賀直哉旧宅とか、林芙美子の像も興味を引きます。

しかし質問を考える段階に進むと、むしろ周囲の風景に気を配るより気になった場所、モノをじっと観察する、と言う風に変わったようです。私の場合は、なぜこの家の人はここに住んでいるのか。を考えていたようです。不便な所でもそこに住むのがステータスなのかもしれません。新しい家はほぼありません。古くてもしっかりしたつくりの家があります。そのすぐ横に粗末とも思える家があります。そこに住まざるを得ない事情があったのかもしれません。運命は受け入れるべきものでしょうか。歯向かうべきなのでしょうか。

私は結婚してから今まで13回引越しをしました。生涯では18回です。生まれることは住み始める最初ですが、これは選べません。結婚後の引っ越しは確かに選びましたが、選択肢はあまりなかったように思います。阪神大震災の後などここしかない、と不動産屋さんに言われたこともありました。

このように質問を考えながらも、ほかの方の「その場所を選んだ理由」を聴くのは面白い。くじの言葉と全く関係がないと感じた場所や理由はありませんでした。何かしらなるほど、と思って他の方のコンセプトや選んだ理由を聴き、質問をしていきました。

途中、休憩した場所で家と家の間から空を眺めると上弦の半月が浮かんでいます。良い景色です。くらげは海月と書きます。海月と空月かなどと考えるのも楽しい。

リーゼントと言うヘアスタイル発祥の地が尾道だという事を知ったのは9番目の方が手を挙げた場所でした。尾道の商店街のなんということはない散髪屋さん。ここが尾道の高校生がリーゼントにするために通い詰めたと散髪屋さんだそうです。二昔、いや三昔前の尾道は今とはずいぶん違った印象だったようです。

この哲学ウォークではどこで手を挙げるか、が重要です。もっとふさわしい場所があるのでは、と思っているといつまでもその場所に出会わなかったりします。しかし逆に一旦手を挙げてしまえば、そこからは取り組む内容が変わるので、もっとこっちのほうが良かったと思うことは少ないように思います。


さて、散歩から帰って来ると、マスターに飲み物を注文して一休みします。その後、手を挙げた順に選んだ質問に対する答えを披露していきます。
わたしへの質問は「住むことは運命か」でした。答えは、
「住むことは、運命です。」
松川さんが、「おおっ」と受けてくれます。そこで私が続けます。

「住むことって選んでいるのは確かですが、思っているほど色々な中から選べるものではありません。坂道の多い町に住むことを選んだ人も、長い間に坂道の多い街に慣れ、工夫して住むことになると思います。
コンセプトは二律背反です。セネカが運命は受け入れるべきではない・・・と言うのは受け入れるだけで終わってしまうように思われる運命は、実はその後の活動で選んでも行ける。そのことを気付かせるために、あるいは強調するために言ったのではないかと思います。」

皆さんの発表を聴き、私はハートランドビールでいい気分になって終わりました。
いい休日の過ごし方でした。

松川さん、お世話になりました。ありがとうございました。ご一緒させていただいた皆様、楽しい時間をありがとうございました。

以上


P.S.「ひとり哲学散歩」は可能だと思います。
  1. 2017/05/07(日) 20:49:09|
  2. こんな哲学カフェに行ってきました
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0170505 園田哲学バー「辞書」 開催報告

第二十五回 園田哲学バー 「辞書」
日時:平成29年5月5日(金)19時~21時 場所:園田地区会館
参加:10名(初参加1名)

連休の金曜日、10名にお集まりいただきました。みなさまありがとうございました。初参加1名を迎え、楽しい時間を過ごしました。

「辞書」は便利なものではあります。わからない言葉を調べ意味を知る、言葉の使い方を確かめる、漢字を調べるなどの使い方の他、言い替えるための類語を調べる、コンパクトな表現や凝った表現を見つけることなどにも使います。

辞書が一般に普及したのは比較的最近のことでしょう。戦後と言っても過言ではないかもしれません。辞書に書いてあることが正しいとなぜ信じられるのでしょうか。そもそも辞書には何が書いてあるのでしょうか。
哲学カフェは「辞書や本に書いてあることを披露する場ではない」とよく言われますが、なぜでしょうか。

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◆辞書には何が書いてあるか
・辞書が好きな人がいて、引くのが楽しみだと言う人がいます。
・辞書は必要なものです。議論にはとりあえず定義が必要なのでその時にも便利です。
・辞書に書いてあることは一方通行です。
・類語辞典、感情語辞典のように、一つの定義を決めているものではない辞書もあります。
・例えば「ウワ~」と言うのは辞書に載っていませんが、自分が使う時には特定の意味を担っています。辞書に載らない基準とはなんでしょうか。
・辞書の中には用例から載っているものがあります。後の方に説明が載っていますが用例から考えろ、と言われているようです。
・類語辞典は、同じような言葉を紹介する辞書で、定義が載っているのではありません。
・方言、俗語事典というものもあります。

◆名前を付ける
・誰かが勝手に現象に名付け、説明されるのはいやらしいと思います。科学的な研究などはこのようにして進んでいくのではありますが。
・権威と言うものがあると自由な発話がさまたげられます。辞書ができた16世紀ごろ、ヨーロッパでは、牧師さんが話をするのに非常に面倒になったという話があるそうです。これは辞書が権威を得たために自由な言葉の使い方が制限されたと言うことでしょう。
・辞書は本来、私的な定義であって、公的になるのはなぜでしょう。
・我々は言語を使いますが個人的言語は存在しないので、言葉を使うことですでに共通の理解の上に立っているという事だと思います。

◆言葉の変遷
・例えば「敷居が高い」と言う言葉は本来、不義理をしていて行きにくいという意味で使われていたが、現在では高級飲食店などに費用が掛かるから行けない、と言う意味でも使われています。
・言葉の意味が変わるのは普通です。誰が使うのかによっても意味は変わります。すると、辞書は何を載せていることになるのでしょうか。
・辞書には3つのことが書いてあると思います。
①禁止、こういう言葉の使い方をしてはいけない。
②便利、この場合にこの言葉を使うと、的確に伝わる。
③未定義、まだこの言葉は定義されていない。
・言葉の定義や意味が移り変わるのは分かりますが、一方で数学などの定義が百年ぐらいで変わると困ると思います。

◆議論と辞書
・議論が深まるためには、共通理解として合意を出発点としないと、混乱や誤解、すり替えやかみ合わないとか、互いにわからなくなるなどの危険があると思います。
・厳密な正しい一つの定義があり得る、少なくともその可能性はあると思います。説明はできる。
・厳密な合意と言いますが、実はみんなが合意すると誰かがみなす、と言うことではないでしょうか。
・言葉の意味を問い詰めると分らなくなることがあると思います。例えば、「かわいい」、「おいしい」を問い詰めると、もう無理、となったり、逆にもっとちゃんと言ってとなったりして合意に至ることが困難だと思います。
・議論をかみ合せる方が不自然だと思います。かみ合うことは大事でしょうか?
・価値観が一緒でも、かみ合わないこともあるし、かみ合わないことがわかることが大事だという事もあると思います。
・話がかみ合えば、信頼感が深まると思います。
・話がかみ合えば、議論していることが同じ方向づけで進むと思います。
・話し合っている当人同士がかみ合っているかという事の他、当人同士を周りから見ていてかみ合っているか、ずれていると分ることもあると思います。
・何事かの共通理解を出発点としていなくても、話がかみ合うことはあるでしょう。

◆辞書は定義しているのか
・合意をしないための定義もあるのではないでしょうか。
・定義することが自由な意見を妨げることがあると思います。じぶんがそのことで強制されないことが大事だと思います。
・例えば憲法9条の解釈の議論では「交戦権」についての定義が共通でないと議論ができないと思います。これは、いわば後出しじゃんけんをさせないための定義だと思います。
・発想を豊かにするために辞書は使わない方がいいと思います。
・サッカーのJ2リーグの九州にあるクラブの応援団が横断幕を作り、そこで「くらす」と言う方言を使ったところ、物議をかもしたことがあります。これは、同じ方言でも福岡、北九州、長崎でニュアンスが異なることが原因でした。言葉の定義が曖昧であることに気が付かずに問題になったようです。
・ワクワクさせる辞書もあると思います。言葉やモノの機能、多様性に気づくきっかけとなります。
・辞書とはわかることしかわかならい。分からないことはやはりわからない。と言うものでしょうか。
・辞書には定義が載っているのではないのではないでしょうか。
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たくさんのご発言が相次ぎ、板書が間に合わなかったり意味がちゃんと取れなかったり忙しい2時間でした。
辞書の権威とはどこから来るのでしょう。映画「舟を編む」では辞書編纂の模様が描かれていますが、膨大な時間と労力をつぎ込んだこと、この事実が辞書の権威の裏付けになっているようにも思います。


次回の園田哲学バーは6月2日(金)19時~21時、テーマは「かみ合う、かみ合わない」です。

  1. 2017/05/07(日) 14:33:55|
  2. あまがさき哲学カフェ開催報告
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